日本においてもユダヤは2種類存在するのかもしれない


日本においても、ユダヤは、2種類存在するのかもしれません。
藤原氏は、中臣鎌足が百済王子・余豊璋であり、この余豊璋の父とされる百済義慈王の曽孫女は、夫余太妃といいます。最近、その墓地が中国で発見されました。
つまり、藤原氏は、夫余族だったのです。
夫余族とは、江上波夫氏の騎馬民族説によれば、天皇家を中心に日本を気づいた人々であり、最近の発見では、バルカン半島から日本まで騎馬によってユーラシア大陸を縦横無尽に駆け巡っていたモンゴル族らしいです。
ただし、不思議なことに、この夫余族にはセム系の名前が見られ、(『三国史記』高句麗本紀・東明聖王紀に出てくる夫余族の名前はセム系です。解夫婁=ヘブル、阿蘭弗=アラブ、解慕漱=ヘモス、鯤淵=コンエン=コーエン)ます。日本にやってきて天皇家となったと思われる人は、解夫婁(ヘブル)といいます。

仁徳天皇稜などの、古墳には、ユダヤのものとしか思えないものがあります。(マナの壷と祭壇)

ですから、藤原氏と天皇家は、いずれも夫余族であり、夫余族は、おそらく西においてユダヤ人と混血し、騎馬民族として日本に入り、政権を樹立したのでしょう。この流れが一つ日本の基本にあると思います。

それに対して、もう一つの流れは、蘇我氏と秦氏です。

秦氏は、2種類あって、一つは徐福といっしょに紀元前に入った人々の子孫。徐福は秦始皇帝と親戚であり、始皇帝の秦という国はもともと西域にあって、おそらくシルクロードを経由してやってきたユダヤ系の人々であると思います。

もう一つは、シルクロードにあった弓月国(ユダヤ系キリスト教国)から新羅を経由してやってきた弓月君の子孫。

この流れは、天皇家にも入っており、天皇家は、夫余系と蘇我・秦系の2種類あるのではないかと思います。

蘇我・秦氏の体制を革命によって転覆し、日本書紀を改ざんして自分の政権の正統性を打ちたて今日まで君臨してきたのが、藤原氏であり、この藤原氏によって日本の古代において普通に存在したキリスト教の知識が消し去られたのではないかと考えております。

その迫害の中で地下にもぐってこの知識(つまり、日本がキリスト教国であること)を秘密にしてきた人々が賀茂氏であり、下鴨神社を中心に活動している八咫烏ではないかとも考えております。

ぜひ下記を参照してください。
http://www.millnm.net/qanda3/kasetsu.htm

 

 

2010年3月3日

 

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