教育は官じゃなきゃだめなの?


橋下府知事が、教育改革こそ大阪を変える基本だと言っている。

余計なお世話である。

教育は、お上がどうのこうの言うべき問題ではない。

役人が考える教育などろくなものではない。

教育とは、つきつめれば「洗脳」である。

なぜならば、子供は何も知らないから。一方的に与えるものだから。

自分で思考できるようになるのは、よほどの大人になってからである。

役人が洗脳のプログラムを作れば何を作るだろうか?

「官に都合のよい人間を作る」ということだ。

つまり、この官僚支配、民が働いたものをうまい具合に上納させるシステムを疑わず、せっせと富を生み出す有能な労働者である。

これこそが、全国60万人の引きこもりやニートの原因だ。

つまり、彼らは頭がよくて、この無益な搾取のシステムが透けて見えるのだ。

こんな無益なシステム、希望のないシステムに入るのに嫌気がさしているのだ。

漫才師になって何千組かの競争を勝ち抜いてM1で優勝して1000万の賞金を獲得しても、500万は税金で持っていかれるボッタクリの体制にうんざりしているのだ。

こんなシステムを作った人間に教育なんてまかせられるか?

「いやぁ、tomiさん。でも、教育を自由化したら、学力低下が起きませんか?」と言う人もいるだろう。

考えて欲しい。

自分の子供が飯を食っていけなくてもよいと考える親がいるだろうか。

会社に就職したり、自分で商売をはじめたりするために必要な能力をつけさせてあげなくてもよいと考える親がいるだろうか。

官が教育の心配をしなくても、親は子供のことを心配するものだ。

最適な教育機関を自分で探して、見つけるだろう。

貧困のために教育を受けられない子供のために、資金を出すのは、何も官でなければできないというわけではない。

民間の奨学制度を作ればよいではないか。

共産主義の洗脳の一つ:「民に任せるとだめになる」と信じ込ませること。

実はその逆なのだ。

 

 

2008年2月12日

 

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