神道を創設した人々は旧約と新約を区別していた


契約の箱に関して非常に興味深い考察があったのでご紹介する。


飛鳥の説はファンタジーと扱われているが、道鏡事件で和気清麻呂が宇佐八幡宮に八幡神の御神託と聞きに行くと言う事実と、清麻呂が大隈国に流されて、後に都に帰都した後から起こり始めた百鬼夜行・天災・疫病はアークを下手に動かした時に起こる現象と同じである。
この時に和気清麻呂が宇佐八幡宮からアークが都に移したのではないかと言われている。
「保暦間記」に、平家との戦に勝った源氏の兵士達が皇居の内侍所にあった「唐櫃」を開けると目や口から血を流して悶絶したとあるから、必ずしもアークが日本に存在しないとは言い切れないと思う。
それに黄金櫃の伝承も宇佐をはじめ各地にある事だし。

それと併せて疑問もある。
奈良の大仏建立の際に宇佐八幡宮から八幡神の神輿が巡幸に来たとあるが、仏像を拝む仏教は勿論だが、ましてやその象徴的な代物である大仏を前にして偶像崇拝を嫌い、アークを通して八幡神が怒らなかった事。
アークは奈良時代末期まで宇佐八幡宮にあって、平城京・平安京の御所から後に伊勢神宮内宮に遷座したそうだが、伊勢神宮が今の
場所に決まるまで、御神体と一緒に各地を転々としていたのなら、御神体であるアークは初めから伊勢神宮に無くてはならないと言う事にもなる。
当然移動の際には臨在の幕屋も一緒に移動したであろうから
アークと一緒に動いていたはずである。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1012827902/l50x

私は、十字架後、神殿はキリストとクリスチャンの体に変わったので、契約の箱にかつての効果があると思わない。

たとえ現在伊勢神宮の内宮にあり、それが本物であるとしても、それは十字架後はレプリカ(もしくはモデル)であり、宗教的な意味はまったくないと考える。

そして、神社には動物犠牲用の祭壇がなく、代わりに赤い鳥居が置かれていることから、神道を創始した人々は、旧約時代の神殿礼拝はすでに廃れており、代わりにキリストの犠牲があるということを自覚していたと考える。

であるから、神道を創設した人々が、仮に契約の箱を重視したとすれば、それは、契約の箱に実体があるということではなく、それを一つのモデル、象徴などとして見ていたのであろう。

神道を創設した人々の中に、旧約時代と新約時代を区別することができるクリスチャンがいたというのが私の考えである。

 

 

2009年2月1日

 

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