聖書的な国のあり方を目指して


<zion様>

富井先生
9条に対するお答えをありがとうございました。
 先生のお答え読みながら、どうして先生のように日本のクリスチャンたちは、聖書に立脚したしっかりした憲法論議をしないのか、悲しく思いました。特に9条に関しては左翼同様、「戦争はいやだ平和がいい」→「軍隊があると戦争が起こる」→「だから自衛隊反対。9条を守れ」と思考停止状態に陥り、しかもその思考停止状態を信仰の名で絶対化しているので、改憲論など語ろうものなら、非平和主義者、不信仰なクリスチャンのレッテルを張られるのではないかと恐れて、声を上げられない人もいるのではないかと思います。そのようにしているあいだに、結局は、クリスチャンではない賢い人たちが、非聖書的な原理で憲法に手をつけて、この国を悪い方に導いてしまうとするなら、その責任のいったんは、クリスチャンにもあると思います。
 今はまた、年金問題がホットな話題ですが、国の役割に対する理解がクリスチャンの中においても曖昧であり、年金ついて、聖書的な考え方を発言できないまま、年金制度が、どんどん非聖書的な社会主義的性格を帯びていくことを懸念しています。
 今後も聖書に立脚した国のあり方を祈り求めていきたいと思います。これからもどうぞご教授よろしくお願いいたします。
 お働きがますます主に強められ祝福されますように、お祈りしております。

<tomi>

ご指摘のとおりだと思います。
クリスチャンは、律法を含む聖書全体を現実の問題に適用する作業を怠ってきました。そして、そのための神学も発達させてきませんでした。

「この世はこの世、聖書の世界は聖書の世界」という分け方をしてきたため、事実上、「地を従えよ」との大命令を拒否してきました。

クリスチャンから摂理の信仰を奪うのにニュートンは大きく貢献しました。彼の理神論に影響されたキリスト教は、次第に聖書の原理を日常の諸問題に適用することをやめました。この世界が、法則によって動いており、神は遠くから我々を見ているだけ、という考え方は、「現実の世界において我々が取った倫理的行動が、この世において自分に報いを与えることはない」という考えに導きました。

その結果、クリスチャンは、彼岸的になり、死後または再臨後の裁きについては関心がありますが、この現実の世界の中においてどのようにすれば祝福され、または、呪われるかについて関心を失いました。

もちろん、「十分の一献金をしっかりしているので、あの人は祝福されている」と言う場合がありますが、しかし、話題の範囲は教会生活と個人的デボーションに限定されています。政治をどうするか、とか、経済をどうするか、については、「世俗の原理」でもいい、という考えになっています。

つまり、ニュートン以来、決疑論が破壊されたということです。

その結果、クリスチャンは、この世界の問題についてほとんど痴呆になりました。もちろん、この世の学者やマスコミなどの意見にしたがって物を考えていますし、発言もしますが、しかし、聖書に基づいて考え、発言するという意味において、ほとんど白痴です。

神学者はもっぱら救済論、神論、キリスト論などいわゆる「純粋神学」だけを追求し、政治や経済、文化などについて思考を発達させることを怠ってきました。今日の神学校において「応用神学」というのは、「教会成長に関する学問」でしかなく、世界を解釈するための学問ではありません。

神学校がこのような状態ですから、神学校を出た牧師たちも、純粋神学しか学ばず、応用神学といっても教会運営や伝道理論だけですから、政治などについて問題意識を持つ信徒がいても、「ああ、君はそういうこの世のことについて考えているのかね。危険とまでは言わないが、よく祈ってやるように。」としかアドバイスできません。

「世界をどう解釈したらよいか」と尋ねる人々に対してこのレベルの回答では、ほとんど「無牧」同然です。

たしかにリベラルの人々は政治や文化について考えていますが、しかし、彼らの思考の根底は主にマルクシズムであるので、政治について発言すると、結局、左翼思想の焼き直しでしかありません。

正直申し上げて、昔伝道のために創設された数々のミッション大学の神学部で教えられているのは、この世の人々と同じように「進化論」に基づいており、聖書を土台とするものでないために、壮大な言葉のバブルにしか見えません。ものすごい数の本が出版されていますが、ほとんどが無内容です。

クリスチャンが本当に求めているのは、思考の半分をヒューマニズムが占めるものではなく、純粋に聖書的な教えです。人間が考えた教えを聖書によって飾るのではなく、聖書が述べていることを人間の考えで飾るべきです。

クリスチャンは、カント、ヘーゲル、キルケゴール、ダーウィンが現われた時にどうして、彼らと対決しなかったのでしょうか。クリスチャンは簡単に彼らの教えを飲み込み、それと和解しようと努力してきました。そして逆に、簡単に相手に飲み込まれたのです。

サタンはこれまで不戦勝で勝利してきました。しかし、神はサタンをこのまま勝利させたままで終わりはしません。聖書的信仰者を起こして、反撃を開始されます。

神が望んでおられるのは、「聖書を信じ、それに忠実なクリスチャンに地を支配させること」です。

そのためには、クリスチャンは決疑論を勉強しなければなりません。聖書律法を研究して、その原理を様々な分野に適用し、様々な分野について真に聖書的な教えを確立する必要があります。

聖書的政治学、聖書的経済学、聖書的芸術論…を発達させる責任があります。

クリスチャンは預言者、王、祭司として任命されました。

ですから、世界に起こる様々な問題を聖書によって解釈できる力をつけなければならないし、また、それは可能なのです。

年金についてのご意見にまったく賛成です。

近代国家は、キリストに代わる偽メシアであり、人々の救済主を自認しています。ノンクリスチャンは、国家について非常によく考え、研究しています。そして、国家は彼らの考えによって運営されてきました。

神となり、人を救うはずの国家は今まで何をしてきたでしょうか。逆に、人々を生贄に捧げさせたのではないでしょうか。ソ連、中国、北朝鮮を見るまでもなく、20世紀に起こった未曾有の戦争は、この偽メシアが起こしたものです。

「私がおまえたちの面倒を見よう。誕生も、教育も、老後も、何もかも私が養ってあげよう」と言う度合いが強ければ強いほど悪魔的になったのはなぜでしょうか。

神はイスラエルに対して、「たとえあなたがたが老いても、私はあなたがたを背負う」と言われました。人生全体において救いは主から来ると聖書は述べているのです。しかし、神のライバルであるサタンは、国家という形で、神の代役をやろうとしました。サタンのねらいは、人々を神から引き離して自分に信頼させ、人々の魂を奪い、自分と運命をともにさせようとしているのです。

クリスチャンはこのようなカラクリを見抜かねばなりません。そして、積極的にこのような思想を攻撃し、人々を目覚めさせ、キリストおひとりが社会における救済主となるよう働きかけるべきです。

人間生活のあらゆる部分を聖書によって再編する活動が今求められていると思います。

 

 

2004年5月7日

 

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