字義的解釈と象徴的解釈の区別11


<Q>
あくまで石でないとダメなのですか、銃殺とか、電気椅子はだめなのでしょうか私個人的には石撃ちでもかまわないですが、後、石はなにか意味でもあるのですか、例えばカインがアベルを殺した時の凶器に使われたとか。

<A>
この律法の内容において、執行者が市民自身であるという点が重要だと思います。
近代法において、死刑執行は、専門職の人々が行います。また、公開処刑や市民による執行は、残虐であるという判断がなされており、このような法律は人気がありません。

しかし、私は、この命令に神の特定の御意志が含まれているのだと思います。

電気椅子や銃殺ではなく、自ら石で打たせることにより、神は明らかに市民が自ら死刑執行に加わることによって、神の法に対する違反がいかに恐ろしい結果を生むかを肝に銘じることができると判断されたと思います。

また、神は契約に属する人々を王として扱っており、刑の執行を具体的な統治の実行と見ておられることは明らかです。つまり、死刑を命令執行することは王の権限ですが、それを契約の民に行わせることによって、彼らが王、統治者であると認め、自覚させるということなのだと思います。

近代の秘密死刑法により、我々や市民全般に、殺人などに対する恐れがなくなっており、抑止効果が次第に薄れています。「人々を恐れさせるために」公開処刑をする必要があると考えます。

また、石は、サタンへの攻撃の武器です。

石はキリストの御国自身であり、それはサタンの支配を打ち砕きます。

「あなたが見ておられるうちに、一つの石が人手によらずに切り出され、その像の鉄と粘土の足を打ち、これを打ち砕きました。 そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみな共に砕けて、夏の麦打ち場のもみがらのようになり、風がそれを吹き払って、あとかたもなくなりました。そして、その像を打った石は大きな山となって全土に満ちました。」(ダニエル2・34-35)

 

 

2007年1月20日

 

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