家の富を守ることは悪ではない2


米『エコノミスト』誌の2005年1月22日号によれば、今アメリカでは、企業の「社会的責任」が強調されているという。

企業はただ自分の利益だけを追求するだけではなく、社会の人々にその利益を還元しなければならないという。

公園を作ったり、老人介護施設を作ったりして、社会に貢献しなさいと。

これは、企業の利潤追求の活動に対して人々に罪悪感を持たせた社会主義教育の結果である。

我々の世代は、社会主義者の教師たちによって、企業に対して悪いイメージを持つように洗脳された。

資本家は、葉巻をくゆらせ、太鼓腹をかかえ、貧民を搾取する強欲な人間として描かれた。

しかし実際は逆である。

資本家による利潤追求の活動によって、社会に富が流入し、各家庭の隅々にまで富が行き渡る。

松下電器やトヨタ、ソニーなどの企業が活躍することによって、世界で稼いだお金が日本に集まり、日本の一般人の所得も向上した。

商社が活動することによって、足りない人のところに、余った人のものが届けられるようになった。商社は世界中に情報網をめぐらせて、どこに何が足りないか、誰が何を望んでいるか情報を集めた。そして、日本において誰が何を売りたがっているか探し、その製品をそこに届ける役割をした。

こうして必要な人のところにしかるべき物が届けられるようになった。商社の貿易活動によって、日本は世界でもっとも多様な商品が豊かに集まる国になったのだ。

商売人は、これを慈善のためにやったのだろうか。彼らは世界の幸せのためにやったのだろうか。

基本的にノーである。慈善活動を主な目的として活動する人間を許すほど市場は甘くない。

彼らは自分の会社の利益のためにやったのだ。しかし、結果として世界を幸せにしてきた。

片や、社会主義国では、「一人が万人のために、万人は一人のために」という美しいスローガンをかかげるが、結果はまったく逆になった。

企業家の利潤追求願望を認めなかったために、万人が不便を強いられた。

商売人は「ものを作らずただ横流しするだけのずるい人間」と評価された(日本でもこういう考え方は残っているが)。

中央の役人の計画と命令で必要なところに必要なものを届かせるようにした結果、社会主義国では、ものが消費者のところに十分に行き渡らないということが頻繁に起こった。

ソ連では、物不足が常態化していた。

「きゅうりが出るそうだ」といううわさが流れる。すると、人々は前もって買いだめするためにいろんな策を講じる。頭のよい人間はきゅうりの配給担当者にコネを作って、優先的にまわしてもらうよう根回しする。

キャンデーを一袋買うのに30分行列に並んで待ったことがある。

聖書には、利潤追求欲を禁じる教えはない。

むしろ、聖書の民であるユダヤ人は世界でもっとも利潤追求を求め、そして、それに成功した民族として有名である。

世界の現実を見てほしい。

聖書から離れれば離れるほど貧乏になり、聖書に近づけば近づくほど豊かになる、という図が見えないだろうか。

キリスト教の中でももっとも聖書に密着したのはカルヴァン派である。カルヴァン派が主要な影響を持った国アメリカ、そして、その国の影響を濃厚に受けた戦後日本は世界でもっとも豊かである。

世界のGDPの25パーセントをこの2つの国が占めている。

政府は、国が経済をコントロールしようなんていう浅知恵を捨てて、聖書の神の御手の働きを信じなさい。

利潤追求欲を罪悪と見ず、企業家の活動を解放しなさい。

 

 

2005年3月12日

 

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