再出発を支援する社会に


借金から逃れるには次の方法がある。

@支出を抑えて収入を増やす。
A貸主に頭を下げるか、法律によって減額かチャラにしてもらう。
B夜逃げする。

@とAは、聖書的に正しい方法である。

Aについてびっくりされる方がいるかもしれない。

日本人の道徳は、「借金については最後まで責任を持つこと」を教えている。

しかし、人間、成功するか失敗するか紙一重である。

悪い人間に騙されたり、引掻き回されることもある。

計画は必ずしも成功しない。いや失敗することのほうが多い。

聖書は、善意の失敗者に対して「安息年」という救済の方法を示している。

借主は、7年目にすべてご破算にしてやり直すことができるのだ。

聖書的に言えば、「借金を返すために一生汗して働く」ことは美徳ではない。

その借主の一生は、過去のためにあるということになる。つまり、過去の奴隷である。

聖書は、我々の人生は罪の償いのためにあるのではなく、キリストにおいて赦されて、新しいスタートを切って、建設的な人生を送るためにあると述べている。

このような再出発のための制度がなければ、社会は逆に停滞してしまうのだ。

善意の失敗者を受け入れて、再生させるのでない社会は自らを滅ぼす社会である。

 

 

2005年9月17日

 

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