純血を重視する思考は聖書的ではない


<OK>
私自身15年くらい前から失われた10部族(12部族全部とも考えられる)が日本に来ていると考えるようになりました。現在は、プレ・ミレ、ポスト・ミレを問わずこのことを信じる人が多くなっているようですね。

ただこの問題を考えるとき血統的ユダヤ人とアシュケナジーは明確に区別されるべきと考えます。なぜなら、彼らは、古代ユダヤの時代には存在していなかったからです。アシュケナジーが「仏陀に教えを説く」ようなことをしているのは困ったことです。

<tomi>

すでに言ったように、古代ユダヤの時代に、すでに信仰によるアブラハム契約への入会があったんですよ。

ルツがそうです。ヨブがそうです。オテニエルがそうです。

聖書は、血縁というものを「これオンリー!」なんて「いつの時代でも言っていない」。

あくまでもイスラエルという共同体は、信仰共同体であって、「純血縁共同体」じゃなかった。

そういった「血」とか「系図」とかを重視する人々は、高慢になったので、イエスから叱責されているでしょう。

アシュケナージとスファラディの区別を過度に強調する立場は、聖書をゆがめねじまげているんです。

こういった血縁的思考をつきつめると、異邦人はアブラハム契約に属していない、と主張することになり、もう目茶目茶でしょう。

クリスチャンが救われるのは、キリストを通じて、アブラハム契約(恵みの契約)に加えられるからでしょう。

もう一度言うけど、

アシュケナージとスファラディの区別を過度に強調する立場は、聖書をゆがめねじまげているんですよ。

わかった?

 

 

2005年5月28日

 

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