御国に逆らうことは恐ろしいことである


人間にとって究極の失敗とは、御国に逆らうことである。

事業に失敗するとか、試験に不合格になるとかは、これに比べれば取るに足りない小さな失敗である。

これらの失敗は、罪ではない。しかし、御国に逆らうことは、罪であり、しかも、最大の罪である。

御国のために働く牧師や伝道師の足を引っ張ったり、それに猛然と抗議したり、陰口をたたいて中傷する罪は神の裁きを免れない。

とくに、それが聖霊の働きであるとはっきり分かることを、悪霊の働きによると述べる罪は、この世においても、後の世においても、絶対に許されず、永遠の刑罰に定められる致命的な罪である。

パリサイ人たちは、イエスの奇蹟をみて、「あれは悪霊が悪霊を追い出しているのだ」とつぶやいた。それをイエスがごらんになって、「これは聖霊を汚す罪である。聖霊を冒涜する罪はこの世においても後の世においても絶対に赦されない」と断言された。

「まことに、あなたがたに告げます。人はその犯すどんな罪も赦していただけます。また、神をけがすことを言っても、それはみな赦していただけます。しかし、聖霊をけがす者はだれでも、永遠に赦されず、とこしえの罪に定められます。」(マルコ3・28-29)

これまでの私の体験では、我々の働きに対して真っ向から反対したり、批判する人の身の上にはあまり良いことが起こらない。

8年前に、パソコン通信上で私の語るポスト・ミレを批判していたある人について、最近彼を知る人から入ってきた情報によればその後自殺したという。

友人のK氏のやることなすことに文句を言って困らせ、反抗していた奥さんは最近神経の病気になり、まったく体が動かせなくなった。

私の知り合いで、私の伝道活動に猛然と抗議した人が最近倒れて入院し、心臓が本来の30%しか機能していない。

サタンが取り付いたとしか思えない反抗的な態度を取り、私たちに罵詈雑言をあびせかけたある人が、直後に失業し、新しい職場もあわずひどいノイローゼに陥り、現在休業中である。

病気になったり不幸が起こることすべてが神の裁きだとは思わない。ヨブのように、神からの試練として与えられたものもあるだろう。しかし、中には裁きもいくつか含まれているだろうと思う。

メシアニック・ジューのY牧師から最近聞いた話によると、十字架の後、紀元70年の神殿崩壊までの間に、神殿で奉仕したすべての大祭司がその場で死んだという。このことを記述した文献を今求めている最中だが、もし事実だとしたら非常に興味深い。

神殿で動物犠牲を捧げることは、イエス・キリストが真の犠牲として十字架にかかられたことに真っ向から反対する行為であるから、裁かれても不思議ではない。

プレ・ミレの人々は、これからエルサレムに神殿が建つと言っているが、もしそれができたとしたら、そこで奉仕する人々に裁きが下ることは避けられないだろう。

御国に逆らうことは恐ろしいことである。

なぜならば、御国の建設は神の御手による直接の働きだから。

「これから後もわたしは神だ。わたしの手から救い出せる者はなく、わたしが事を行なえば、だれがそれをとどめることができよう。」(イザヤ43・13)

誰かの伝道活動を批判しようと思っている人は、一度考えなおして欲しい。もし、それが聖霊による活動であるなら、聖霊に逆らう罪となり、永遠の刑罰にあうことは避けられないから。

 

 

2004年8月5日

 

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