当たり前のことが通用する社会にして欲しい


神が望んでおられる社会とは、自分の行動の結果がはっきりと現れる社会である。

正当な方法で努力した人が成功を収め、そうではない人が失敗する社会である。

成功によって得られたものが誰によっても奪われず、子孫に相続させることができる社会である。

成功者の子孫がその財産を用いてさらに家族の力を強化することができ、支配の力を増大させられる社会である。

このような「成功家族のプラスのスパイラル」を認める社会以外は、滅亡する社会である。

市場で勝利できるかどうかということは、「消費者に仕えることができる」能力にかかっており、消費者に仕えることがよりよくできる者が、市場において勝利する。

つまり、「仕える者が支配する」という聖書のサーバント・リーダーシップが実現するのである。

消費者はいつでも王様であり、このシステムが整備されればされるほど、消費者は安価で良質なものを手に入れることができる。

市場経済においてトップに君臨できる業者は、「もっともへりくだった者」である。

マイクロソフトが「独占企業」として非難されることが多いが、私は、ブラウザや表計算ソフト、ワープロソフトがまだ乱立していた時代よりも、今のInternet ExplorerやExcel、Wordが独占している状態のほうがよいと考えている。

なぜならば、これらのソフトは圧倒的に他社製品よりも優れており、使い勝手がよいからである。

これは個々それぞれの意見があるだろうが、私は仕事上、各パソコン利用者の使用ソフトがマイクロソフト社製品で共通している現在、ファイル転換が不要なため、非常に助かっているのである。

難点は、マ社製品は高価だという点である。(その点、ソースネクストの努力を評価している。非常に安価なセキュリティソフト、WORD互換ワープロソフトなどを開発している。)

マ社の各製品が世界を席巻したのは、OSを支配したから当然だという意見があるかもしれない。

しかし、私は、市場においてマ社がOSだけではなく、これらのアプリケーションソフトにおいても勝利したのは、やはりマ社が、利用者に対してへりくだって、利用者によりよく奉仕できたからだと思っている。

市場はシビアなので、いくらOSを支配しているからといって、Wordがダメなら、他社のワープロソフトが標準ソフトとして選択されるだろう。

「いや、他社製品をしめ出すためにWindows上で動作に不具合が生じるようにOSに手を加えるだろう」というかもしれない。

たしかにネスケの締め出しにはそういう部分があった。

しかし、あらゆる競合製品にそれをやったらOSそのものが選択されなくなるだろう。

やはり市場経済が発達している国々において「消費者によりよく仕える業者が生き残る」という原理は強く作用している。

このような原理を嫌って、「国家権力が選択した業者が生き残る」というシステムを作ろうとしても、消費者はそのような業者を選択するとは限らず「安くて良質の商品」を求めて闇市場が形成され、結局、そのような「人為的市場」は生き残ることができないで、システムは崩壊するだろう。

歴史上、国家主義者の人為的市場は、成功したためしがない。

ソ連東欧などの社会主義国や日本のような準社会主義国の実験はもうすでに「財政破綻」という形で結果が出ているのであるから、これからの政治家はもうこのような幻想をいっさい抱かないことである。

政治家は、私有財産にいっさい手をつけない国づくりを目指せ。

政治家は、自由市場メカニズムにいっさい手をつけない国づくりを目指せ。

政治家は、結果の平等を目指すな。

税金は10パーセント未満に落とし、国の機能を国防と警察に限定し、役人の手から富の再配分の権力を奪え。

国に家族、私企業の足を引っ張らせるな。

格差是正などという病的な目標をかかげるな。

より多く勉強した人が受験に勝利し、より多く練習した人が試合に勝ち、より多く努力した人が仕事で成功する・・・

このような当たり前のことが通用する社会にして欲しい。

 

 

2006年9月13日

 

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