権威に逆らう者は必ず裁きを受ける


牧師や伝道師の不祥事を実名を上げて訴えているサイトについて批判したら、「脅迫している」と受け取られた。

脅迫なんてしていない。

脅迫して私に何の利益があるのだろうか。

そうじゃなくて、警告したのだ。

聖書で繰り返して、権威のある人々を訴えるには、注意せよと言われている。

なぜならば、神はこの世界を統治するために、牧師や伝道師を任命しておられるからだ。

いかに腐っても牧師は牧師だ。

権威として敬うという姿勢がなければ、神の立てた権威に逆らい、神の国を破壊することになるということだ。

我々がもし牧師に対して不満があるなら、しかるべき手順を踏んで、権威を通じて訴えるべきだ。

それも、小さな、我慢できる範囲のことについては、目をつむることだ。

重大な違反については、長老を通じて訴えよ。

しかも、証人を2,3人連れて。

この手順をすっ飛ばして、直接害を与えるようなことをやれば、自分に返ってきますよ、と言っているのだ。

どんなに正義に見えても、聖書の基準を逸脱したら、自分が罪を犯すことになるから、自分が裁かれる。

シムイを見なさい。

ダビデを面罵した。呪った。

どうなったか。

ソロモンの時に、代価を払わされた。

町を出てはならない、町を出るならば、処刑すると警告された。

それを破ったので、実際に処刑された。

モーセに逆らって、地割れの中に落ち込んで死んだコラを見なさい。

同じくモーセに逆らってらい病になったミリヤムを見なさい。

「脅迫されても私はひるまない」なんて正義のヒーローのようなことを言ってるが、そんな次元の問題ではないのだ。

永遠の刑罰を受けて、地獄の業火に焼かれてから気づいたのでは遅いだろう。


人はみな、上に立つ権威に従うべきです。神によらない権威はなく、存在している権威はすべて、神によって立てられたものです。
したがって、権威に逆らっている人は、神の定めにそむいているのです。そむいた人は自分の身にさばきを招きます。(ローマ13・1-2)

 

 

2009年11月6日

 

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