イエズス会とグノーシス思想2


日本が1639年に追い出したのは、キリスト教ではなく、イエズス会によってグノーシス思想に冒されたローマ・カトリックであった。結果として、キリスト教全体を追い出したことにはなってしまったのは残念である。

キリスト教国においても、イエズス会は何度も追い出しをくらっている。

1776年4月2日に、チャールズ3世は、イエズス会とスペイン異端審問会をスペインから追い出した。

1768年、マルタ島はイエズス会を追放した。

1773年、イエズス会はすべてのカトリック国において弾圧される。この弾圧は、1814年に法皇がイエズス会を認めるまで41年間続いた。

同年、神聖ローマ帝国皇帝ヨセフ2世がイエズス会を帝国から追放。法皇クレメント14世がイエズス会の解散を命令。このとき、彼らはプロシアのフレデリック大王の保護のもとに入った。

1776年、イエズス会で訓練を受けたアダムズ・ワイズハウプトがババリアン・イルミナティを創設。1786年、ババリア政府はすべての秘密結社を禁止。
http://wikicompany.org/wiki/911:History_of_oppression

どうしてイエズス会士は弾圧・追放されたのだろうか。

それは、イエズス会が政治的な意図を持っていたからだ。


もしイエズス会士が宗教を伝えることに満足していれば、追い出しをくらうことも、迫害されることもなかっただろう。しかし、イエズス会士は当時、けっして謙遜な宣教師ではなかった。彼らは政治に介入し、自分たちの利益のために貿易に影響を行使しようとした。
http://www2.hawaii.edu/~austins/academics/deus_destroyed.pdf

1754年、イエズス会士たちは、スコティッシュ・ライト・フリー・メイソンの25の儀礼式を作った。イルミナティの頭領アルバート・パイクはスコティッシュ・ライトのアメリカ南部最高指導者であった。

フリー・メイソンの出版人であるC・レニングは次のように述べた。

ジェームズ2世は、1688年にフランスに亡命後、イエズス会のクレアモント大学に居を構えた。この大学において、彼の従者たちが、政治的な目的を実行に移すためにある学位を設置した。
http://wikicompany.org/wiki/911:History_of_oppression

イエズス会は、政治的野心を持っており、イルミナティと関係があるということが分かる。

 

 

2009年3月1日

 

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