キリスト教(と資本主義)は科学の産みの親である2



資本主義の勃興により、教会が唱えていた理性は勝利した。なぜならば、資本主義の本質は、理性を商業に体系的・持続的に適用することだからである。・・・

20世紀に、西洋の知識人は、ヨーロッパの帝国主義の原因はキリスト教にあると述べてきたが、キリスト教こそヨーロッパが他の地域に優越するための原動力であったことをまったく認めようとしない。

むしろ、宗教は科学的発展を阻害する働きをしてきたのであり、それを乗り越えたからこそ西洋は発展したのだ、と言われているのである。ナンセンスである。科学の誕生をはじめ、西洋がなぜ成功を収めたかと言えば、それは、宗教的基礎がしっかりとしていたからなのである。この宗教的基盤は敬虔なクリスチャンによって築き上げられたのである。

不幸にも、西洋の発展を可能にしたのがキリスト教であったことを認める歴史家の多くは、研究の範囲をプロテスタント宗教改革に限定してきた。宗教改革以前のキリスト教1500年の期間がほとんど意味がなかったか、もしくは、有害であったかのような扱いである。

資本主義の起源に関する書物のうちでもっとも有名なものは、このような反ローマ・カトリック主義に冒されている。20世紀の始めに、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーが、非常に大きな影響力のある著書を出した。『プロテスタントの倫理と資本主義の精神』である。

その中で、ウェーバーは「資本主義がヨーロッパにおいてのみ誕生したのは、世界のすべての宗教のうちで、プロテスタント主義だけが人々に倹約と富の追求を教えたからである」と述べた。

また、「宗教改革以前、倹約は禁欲主義と結びついており、そのため、商業活動は批判の対象であった。その逆に、富の追求は放蕩的消費と連想されていた。どちらの考え方も資本主義を否定した」とも述べた。

ウェーバーによれば、プロテスタントの倫理はその伝統的な考え方を打ち破り、さらなる富を追求するために利益を体系的に再投資する倹約的企業家の文化を生み出した。ここに資本主義の本質と西洋の優越の鍵がある。

・・・この学説は明らかに間違っている。今日でも、社会学者の間では、プロテスタントの倫理はほとんど神聖視されている。経済史学者は、ウェーバーの、驚くほど証拠文献の少ない研究論文を即座に否定した。その根拠は、ヨーロッパにおける資本主義の興隆は、宗教改革よりも数世紀も前に始まっていたという反論不能な事実にある。

ウェーバーの出版の12年後に、有名なベルギー人学者ヘンリ・ピレンネは大著を著し、「資本主義の全本質、個人企業、信用取引、商業的利益、投機などが発達したのは、イタリアの都市国家ベニス・ジェノバ・フローレンスにおいて、12世紀以降であった」ということを証明した。

30年後、同じように有名だったフランスの歴史家フェルナンド・ブラウデルは「すべての歴史家はこの根拠薄弱な理論に反対した。・・・北の国々は、地中海の古い資本主義の中心勢力が長い間占領していた場所を引き継いだだけだ。彼らは何も新しいものを発明しなかった。技術においても、ビジネスにおいても」と述べた。

経済が発展した重要な時期に、これらの資本主義の北の中心は、カトリックであって、プロテスタントではなかった。宗教改革はまだ起こっておらず、はるか未来のことであった。さらに、カナダの歴史家で、中世の教会の経済活動に関する権威ジョン・ギルクリストは「資本主義の最初の例は、キリスト教君主制国家に現れた」と述べた。

ウェーバーの説には間違いがあったが、宗教思想がヨーロッパの資本主義の勃興において重要な役割を果たしたという考えは正しかった。資本主義に必要な物質的条件は、様々な時代の多くの文明――中国、イスラム世界、インド、ビザンチウム、古代ローマ、ギリシア――に存在した。しかし、これらの社会のいずれも資本主義を生み出し、それを発展させることができなかった。というのも、そのダイナミックな経済システムに見合うだけの倫理的なビジョンを進化させることができなかったからである。西洋以外の地域において、人々を指導した主な宗教は禁欲主義的であり、利益を得ることを否定した。その一方で、ただ虚飾と無駄遣いを生業とする強欲なエリートたちが農民や商人から富を搾取していた。

 なぜヨーロッパにおいてだけ、状況が異なっていたのだろうか?キリスト教が理性的な神学を持っていたためである。その理性的な神学は、宗教改革において主要な役割を演じたが、その影響は宗教改革に留まらない。それは、すでにプロテスタントより千年も前に出現していたのである。

ただし、西洋においても、資本主義の発達はいくつかの地域に限定されていた。なぜ西洋全地域に及ばなかったのだろうか?ヨーロッパには、他の地域と同じような貪欲な専制君主がいたためである。自由は資本主義の発展にとって必要不可欠な条件であった。ここでもう一つの問題が湧き上がる。「世界のほとんどの地域においてなぜ自由が存在しなかったのだろう。中世のヨーロッパの国々の中で自由を達成した国がどうして現れたのだろう?」

それも理性の勝利によるのである。中世ヨーロッパの国々が代議制を築き上げようとする前に、キリスト教の神学者が長い間、平等の性質や個人の権利に関する理論を築き上げていたのである。ジョン・ロックのような18世紀の世俗政治理論家は、教会の学者たちが考え出した平等の原理に明らかに依存していた。

 

 

2006年4月11日

 

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