近代史の中核



あなたも私も知っているように、実際のところ、アンドリュー・ジャクソン政権以降、中央にいる一つの金融集団が政府を牛耳っている。(フランクリン・デラノ・ルーズベルトがハウス大佐に送った1933年11月21日付の手紙)

「中央にいる一つの金融集団」とは、ロスチャイルド家の中央銀行である。

ユダヤ・ロスチャイルド世界冷酷支配年表(アンドリュー・ヒッチコック著)より

アメリカを守ったアンドリュー・ジャクソン(第7代アメリカ合衆国大統領)

1828年
12年にわたって第二合衆国銀行
(ちなみにこのころの中央銀行は「第二合衆国銀行」です。)
が容赦なくアメリカの経済を操作し、国民に不利益をもたらしながら自分たちの利益のみを追求した結果、アメリカ国民の我慢は限界に達し、アンドリュー・ジャクソンが大統領に指名される。
ジャクソンは大統領選で勝利を収め、権限を行使してこの銀行をできるだけ早く廃業させるつもりだと明言した。


1832年
第二合衆国銀行(中央銀行)は銀行の認可更新を認めるよう申請した。
議会はこれに応じ、法案をジャクソン大統領に送って署名を求めた。

ところが、ジャクソン大統領はこの法案に対して拒否権を行使し、
「政府の補助金を得るのは、すべて国民以外の者である。第二合衆国銀行の株式の800万以上は外国人が所有している。われわれの通貨を管理し、公的資金を受け取り、何千人という市民を従わせる。
 これは敵の実際の軍事力よりも恐ろしく、危険なことである。私の前にある法案には、正義の原則から大きくかけ離れている箇所があるように思われる。」と述べた。
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1835年ジャクソン大統領暗殺未遂。

1836年大統領は、認可の更新を認めず、ついにロスチャイルド家の中央銀行をアメリカから締め出した。

1845年大統領死去。ジャクソンは「わたしは銀行の息の根を止めた。」という言葉を、墓石に刻むように遺言した。

結局、アメリカという国の本当の歴史とは、中央銀行を作ろうとするロスチャイルドの野望と、国民派の大統領との戦いのそれであった。

1912年J・P・モルガン有するタイタニック号が沈没し、乗客として乗っていた連邦準備制度に反対する3人の富豪が殺され、1913年に連邦準備制度ができたときに、ロスチャイルドが勝利した。

そして、1963年に政府紙幣を発行したJFKが暗殺され、国民派の大統領が敗れた。

どの国においても、近代の歴史の中核は、中央銀行対国民派指導者の戦いである。

日本の攘夷運動の中心は、ロスチャイルドの中央銀行設立による日本支配に対する国民派の人々による抵抗であった。

 

 

2010年8月21日

 

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