再建主義批判のサイト(米)への応答17


<RNCI>

「『神の御心にかなった法秩序は、背神者の相続を拒否し、処刑し、根こぎにし、神に従う者たちの相続を確保する』・・・ [もし後半の言葉が真実だとすれば、使徒全員、そして、イエスご自身も神を否定する者と見なさねばならなくなるだろう!!]」

<tomi>
「神の御心にかなった法秩序は、背神者の相続を拒否し、処刑し、根こぎにし、神に従う者たちの相続を確保する」という言葉を、「神に背く人間はどのような場合でも、相続を許されず、処刑され、根こぎにされる」と解釈してはならない。そのような社会では、ノンクリスチャンの居場所はまったくないのか、と疑ってはならない。

この言葉の前提を2つ理解しなければならない。
(1) この法秩序が成立するには、まず伝道によって、人々の心が変わり、神の愛を確信し、神の秩序が最善であると確信する必要がある。そして、彼らが、自分の国を、聖書を基準とする国にしたいと、自発的に願い、神との間に国民契約を結ばなければならない。このような前提のない社会において、突然クリスチャンが政権をとり、反対者を弾圧していくということではない。それは、ヒトラーやスターリンの二の舞である。個人的な野望に基づく抑圧と、「神の義の支配」とを混同してはならない。 

(2) 聖書的法秩序において、ノンクリスチャンにも居場所はある。なぜならば、誰も福音を無理強いできないからである。キリストを救い主として受け入れることは、個人の選択によるのであり、心の奥底のきわめてプライベートな問題である。こういった宗教という人間の根源に属することを、法律で強制することなど不可能であるし、神の似姿である人間に対する冒涜である。聖書的法秩序において人間が罰せられる場合、それは「ノンクリスチャンだから」ではなく、「創造者の法に違反したから」である。我々を創造した神の規則に違反したというただそれだけの理由で罰せられるのである。これは、クリスチャンにも、ノンクリスチャンにも平等に適用される。法を破る者は、その人の信条にかかわらず平等に罰せられる。
   「神に背く人間はどのような場合でも、相続を許されず、処刑され、根こぎにされる」=「ノンクリスチャンはどのような場合でも、相続を許されず、処刑され、根こぎにされる」ではなく、「神の法に違反する人間は、その罪状に応じて、相続を許されなかったり、処刑されたり、根こぎにされたりする」ということである。つまり、クリスチャン、ノンクリスチャンにかかわらず、微罪には軽い刑罰が、重罪には重い刑罰が下されるということである。これは、今日のヒューマニズムの法秩序とまったく同じである。

 

 

2006年2月28日

 

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