日猶同祖論はトンデモではない


今から十年前に日猶同祖論について触れると、電波系との烙印を押された。

しかし、今はかなり変わった。真名井神社もかなり有名になった。

クリスチャンの中にはまだ疑問視する人々がいる。

どうか頭をやわらかくしてほしい。そして、聖書が何を言っているかを調べてほしい。

アッシリア捕囚後、イスラエル10部族はパレスチナに帰還しなかった。

イエスがおられた当時、パレスチナはソロモンの時代のパレスチナとはまったく異なっていた。

なぜならば、十部族が消えていたからだ。ユダとベニヤミンとレビしかいなかった。

それでは、十部族はアブラハム契約から落ちたのか、というとそうではない。

彼らは依然として神の民であった。

イエスは、「囲いに属さない羊をも導かねばならない」と配慮しておられる。


わたしにはまた、この囲いに属さないほかの羊があります。わたしはそれをも導かなければなりません。彼らはわたしの声に聞き従い、一つの群れ、ひとりの牧者となるのです。(ヨハネ10・16)

ヤコブは、手紙を「イスラエルの十二部族の人々へ」あてて書いた。

神と主イエス・キリストのしもべヤコブが、国外に散っている十二の部族へあいさつを送ります。(ヤコブ1・1)
(ここで注意したいのは、「国外に散っている十二の部族」という箇所だ。離散していたのは、十部族だけではない。ユダやベニヤミンも離散していた。)

彼らはみなアブラハムの契約の中におり、救いを受け継ぐべき民であった。

そのため、イエスはこれらのすべての人々の救い主としてやってこられたので、十字架の救いはユダヤ人が住んでいるあらゆる土地に伝えられなければならなかった。

だから、日本へのキリスト教の伝来を16世紀だとか、3世紀だとか言う考え方は間違っているのだ。

もし日本に紀元1世紀十字架直後にユダヤ人がいたとしたら、彼らのもとにも伝道者はやってきたはずだ。

紀元前2世紀に中国にユダヤ人がいた記録があるから、日本にもいただろう。

しかも日本はシルクロードの終着点としてあったから、ユダヤ人の商人が駐在していた可能性は高い。

だから、神道におけるユダヤ思想の痕跡について云々しても、電波にはならないのだ。

トンデモ扱いする人々は、よく考えていない。思索が浅い。

契約的立場に立てば、日本の原文化に対するユダヤ人の影響は、けっして荒唐無稽の説ではない。

お分かりだろうか。

 

 

2009年9月1日

 

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