非6日創造論者へ4


<O様>

>6日創造説をバカにするクリスチャンよ。
>自分を知者とし、進化論を受け入れるクリスチャンよ。
>あなたは、結局、頼るべき土台を自分で破壊したのである。
>人生の最大の苦しみが襲ってきたときに、あなたが愛していた
>高等批評の神はあなたを助けるだろうか。
>その保証は?聖書は人間の著作だと言っていたんでしょう?
>どうしてその神はあなたを助けるのか?
>進化論者のクリスチャンは、自分の信仰を破壊し、自分を根無し草
>にした大たわけである。

誠にアーメンです。

その大たわけが神学校で教鞭を執ったり、聖日礼拝の講壇に立ち、ウェブサイトを立ち上げているのですから、非常に強い危機感を覚えます。

フルプレテリストのみならず「聖書信仰」に立っているはずの人が、「天地創造は非常に長い年月を経て行われた。24時間×6ではない」とおっしゃるようになりました。
http://members.jcom.home.ne.jp/ht_matsuzaki/index.htm
大たわけの人たちから見れば、私たちは字義拘泥主義の「大たわけ」になるのでしょうか?

<tomi>
仮に24時間x6ではないというならば、次の聖句をどう解釈するのでしょうか。

「六日(1)間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。…それは主が六日(2)のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、主は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。」(出エジプト記20・9-11)

1.
進化論者クリスチャンの主張によれば、「六日」の意味は、(1)のほうは文字通りの24時間x6日だが、(2)のほうは〇〇億年だった、ということにならざるを得ません。

異なる文脈の中に出てきたならまだしも、同一の文脈の、同一の主題のもとに出てくる同一の語が、これだけ異なる意味を持っていると解釈することは不可能です。

2.
この個所では、「6日働いて7日目に休まなければならない」という「安息日の規定」という旧約聖書の中で最も基本的な教えが述べられています。

そして、「6日働く」ことの根拠が、創造における神の御業にあるという。

すなわち、神が創造において6日働いたのだから、あなたがたも6日働きなさい、と。

ここで6日という時間の長さはきわめて重要です。この個所において「1日の長さなど関係ない」とは絶対に言えない。なぜならば神は「私を模倣せよ」と命令しておられるからです。

「日」の長さが何十億年という開きがあるのにもかかわらず「模倣せよ」とはおかしなことです。

3.
また、「日」という言葉について、それを「時代」のようなものと考える人々がいますが間違いです。

なぜならば、創世記において「日」という言葉は明らかに定義されているからです。

「神は、この光を昼と名づけ、このやみを夜と名づけられた。こうして夕があり、朝があった。第一日。」(創世記1・5)

1日は、「夕と朝」で区切られる(我々のと同じ)一日であるとちゃんとここで定義されているではないですか!

「日」を「時代」と解釈する人々は、この個所をどう解釈するのでしょうか?


 

 

2005年8月2日

 

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