字義的解釈と象徴的解釈の区別22


<Q>
女性について聞きたいのですが。まず女性が牧師をする事をどうとらえるか、それから私個人的に女性が教会に増えるとナイーブなキリスト教になってしまい男性が寄りつかなくなってしまう様な気がするのですが。女性に受けの悪いキリスト教の方が将来的に良いのでは、と思うのですが。女性はすぐ死刑反対とか絶対平和主義とか憐れみをかければ、何でも奇跡が起きると思っている所があるので。後、やはり女性は頭にベールをした方が良いのでは、と思うのですが。後、女性の権利の主張と共に同性愛者が増えていったと言う事実もあります。それから、離婚も。御意見の方お願いします。

<A>
女性が牧師になることははっきりと禁止されています。女性が教えることをパウロは許さないと宣言しています。
女性が増えることが必ずしも教会にとって悪影響があるとは思えないのです。
イエスの周りには女性がたくさんいましたので。
むしろ、男性がリーダーシップを取っていないということが問題ではないかと思います。
問題の本質は、教会の神学が「逃避的」になってしまったことにあります。
世界を獲得するという本来の福音の使命がサタンの陰謀によって消えてしまいました。
ディスペンセーショナリズムやリベラリズムという名前の悪魔の教えによって、クリスチャンはこの地上支配をあきらめ、携挙や死などに救いを求めています。
この地上を変えるという動機を失った人間はもはや腑抜けです。
聖書では、「こうがんのつぶれた者」は主の集会に加わってはならない、という戒めがあります。
男性性の喪失は、教会にとって致命的です。
女性のベールの問題ですが、パウロは聖書の中において、髪の短い女性はベールをつけるべきだとだけいっており、髪の長い女性は、髪は女性にとってかぶりもの、栄光のしるしなので、ベールをつける必要はないといっています。

 

 

2007年1月29日

 

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