獣としての戦後日本


最近の西武のドタバタ劇を見ていると、戦後のやり手経営者全般に審判が下っているように見える。

ダイエーの中内氏や西武の堤氏について私が抱いていたイメージとは、黙示録の「獣」である。

道徳とか人の道とか、高邁な理想を掲げて、社会に貢献しなければ企業の存在意味はないと宣言していた松下幸之助など彼らの前の世代の経営者から感じられる謙遜さを彼らには感じられなかった。

私が企業で働いた時期に会社で出会った人々は、姿は社会人だが、本質は野獣であった。

社員を奴隷として扱い、家族形成などおかまいなしに単身赴任させ平気な顔をしている。

実際「会社は絶対だ!」と怒鳴られたこともあった。

日本人が欧米の人々からエコノミック・アニマルと呼ばれたのもうなずける。

キリスト教という大きな土台があれば、日本の企業は獣にはならなかったはず。

利益追求が自己目的化して、他のすべての正当な価値を踏みつけてゴジラのように爆走してきた戦後日本。

獣は裁かれる。

長期にわたって繁栄する社会は、「人の道」を外れない。

我々は、戦後の日本をひっぱってきたカリスマ社長の没落から何かを学ぶべきである。

 

 

2004年12月14日

 

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