レムナントが集まりつつある


今、キリスト教出版社や一般の教会が崩壊しつつある。

それに対して、我々の側にはどんどん新しいかたがたが加えられている。

その一人最近会員になられた方は、ある学校で聖書を教えておられる。

ミッションスクールの影響力は大きいので、正しい教えを説く方が加えられたことはすばらしいことだ。感謝!

学生時代は頭が柔らかい。この時期に受けた影響は一生を左右する。

これまでミッションスクールはサタンの格好の餌食になってきた。

サタンの方法とは、教えを変えることだ。

どんなに立派な建物や教育設備、能力の高い教師がいても、教える内容がまずかったら、全部だめだ。

だから、教師をノンクリスチャン化することに努力が払われてきた。

学校を汚染したのは、リベラル神学である。

この神学によって、聖書信仰が破壊された。

聖書が最高権威の座から引きずりおろされた。

その結果どうなったかというと、学校で教えられる聖書の勉強とは、単なる道徳である。

キリスト教にとって道徳は重要であるが、2番目だ。

1番目は何といっても、キリストの救いである。

キリストの救いがきちんととかれていなければ、道徳をいくら教えてもほとんど意味がない。

現代のキリスト教は契約の概念を失った。

キリストを信じなければどんなに道徳を教えられても、その人は、非契約者である。

キリストを信じて救いを受けると、人間は契約者となる。

保険の契約を考えていただきたい。

どんなに保険のすばらしさを説明され、そこから得られる利益を説明されても、事故を起こしたときに、または、病気になったときに、保険契約を結んでいなければ何もならない。

道徳しか教えない学校というのはこれと同じだ。

契約加入を勧めないので、いざというときに保険金を受け取れない。

我々は、保険金を受け取るためには、契約を結んで、被保険者の資格を得る必要がある。

それが十字架への信仰だ。

イエスが神の子であり、我々の罪の身代わりに死んでくださったということを信じなければ、十字架の血は自分の罪に適用されない。

だから、いくら十字架の話を聞いていても、それは、何の役にも立たない。

信じることだ。信じることによって、契約に入らなければならない。

サタンは、その一番重要なポイントをぼかしてきた。

サタンは、キリスト教を道徳の教えと見せかけて、契約加入を説かないように導いてきた。

だから、ミッションスクール出身者に話を聞いてみたらいい。

授業で、福音が説かれていないのだ。

十字架の意味が説明されていない。そして、キリスト契約に入ることが勧められていない。

これじゃあ本当に意味がない。

「ミッションスクールに通っていたけど、授業はつまらなかった。何も覚えていない」という人が大多数だ。

たこが入っていないたこやきを食わせられたということだ。

エビが入っていないエビピラフを食わせられたということだ。

どうしてこうなったのか。

サタンの目つぶしにあったからだ。

聖書を教える教師がそもそも信仰がない。

救いの必要性がわかっていない教師が教えるから単なる道徳訓になる。

倫理社会の教科書を見てほしい。

キリスト教の箇所には、「イエスは愛の大切さを説いた」みたいな記述ばかりだ。

冗談じゃない。

旧約の犠牲制度全体が、キリストの贖いを説いている。

罪が贖われることが中心なのだ。

それこそが、もっとも伝えなければならないテーマだ。

サタンは人類を地獄に引きずり落とすために、信仰を教えない神学校を作った。

そこで、信仰を教えられていない牧師を大量に養成し、彼らを様々なミッションスクールに送り込んだ。

進化論を同時に信じさせて、エデンの園の記述を神話にしてしまった。

エデンの園の話が神話であれば、そこで起こったできごとも虚構になる。

すると、人間の根本問題が罪にあることがぼける。

だから、キリストの必要性がなくなる。

十字架の贖いの意味がなくなる。

こうやって、贖い不要のキリスト教を作り上げ、ミッションスクールを廃墟にしてきた。

ほとんど全部やられた。

ミッションスクールの意味がなくなった。

だから、神はホームスクーリングを起こされた。

救いをきちんと教える場所を作っておられる。

今はミッションスクールだけではない。

教会そのものが軒並みやられている。

ビリー・グラハムを見なさい。

あれだけ大会でキリストの十字架を説いていた人がいまや、キリストなしでも救いはあると説いている。

彼もサタンにやられた。

世界は核爆発で全滅しようとしている。

「キリスト抜きのキリスト教」という核兵器で。

だから、我々の働きは重要なのだ。

私は、サタンのやりたいことの逆をやろうとしている。

一番突かれると痛いところを突いてやろうと思っている。

問題点を鮮明にしてどこが間違っているのか、どうやって世界が病気になったのかを明らかにしようとしている。

これが私の使命だと思っている。

神はいつの時代にも一つの「ともしび」を残される。

残りが全滅しても、真理を説く人々を残される。

世界と日本のキリスト教界が全滅したとしても、我々だけは、まっすぐに福音を説いて、聖書から絶対に離れない。

聖書啓示に反するものを一切寄せ付けない。

こういう覚悟の人々が今集まりつつある。

 

 

2009年11月21日

 

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