時間は人の内実を暴露する


教会経営においても、世俗の会社経営と同じように、中心は、人を見抜くことだ。

いろんな人がやってくる。

その人々を全員信用していては、組織が持たない。

人を見抜く目が必要だ。

イエスは、人の見抜き方を伝授された。

それは、「待つ」ことだ。

最初は、麦と毒麦は区別がつかない。同じ外見だからだ。

しかし、刈り入れのころになると、はっきり区別できるようになる。

そこで毒麦を引き抜くべきだ。

その前にやると、良い麦も引き抜いてしまうかもしれない。

時間が必要だ。

クリスチャンとしてやってきた人の中に悪魔の弟子が混じっていることがある。

その人は最初は外見で分からない。

しかし、時間が経つとともに、内面が出てくる。

サタンから出た人々の特徴は、まず「自腹を切りたがらない」ということ。

聖霊の促しがあれば、献金なり奉仕なりを喜んでできるはずだ。

しかし、彼らには聖霊の促しがない。

だから、献金や奉仕は、損に思えてならない。

本当のところにおいて、自分の内側が変わっておらず、聖霊が入っていないので、外面的にクリスチャンらしく振舞っているだけであって、本当のところは、心の中で「あかんべ」している。

そのような兆候が、時間が経つとはっきりと悪行という形で表面化する。

サタンの弟子は、サタンのやりたいことをやる。

だから、教会において、分裂活動をしたり、牧師の悪口を言ったり、反抗するように教唆したり、牧師を苦しめるような批判をしたり、いろんなことをはじめる。

虚栄心が強く、人の前で自分の功徳をひけらかすようになる。

まあ、こういうことが出はじめたら、要注意。

そのうち決定的な問題を引き起こす。

最近セクハラで逮捕されたP牧師。私が福音派にいたころ、小牧者訓練会というところで講義を聴いた。

何か後ろ暗いものを感じた。賛美歌も気持ちの悪い自前の歌で、何か感傷的なものを感じた。

セクハラという形で、ついに彼の内面が現れた。

20年たって実を結んだ。

最初は分からない。でも、時間が経過すると、その人が神から出ているのか、サタンから出ているのかが明らかになる。

 

 

2010年5月23日

 

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