山谷さん、ウソはよくないですよ3


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「そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです」という言葉は、「歴史を通じてユダヤ人にとってこれ以上の苦難の時はない」ということを示しているのだ、と山谷氏は考えているようですが、そのように解釈しなければならないという規則はご・ざ・い・ま・せ・ん。

「こうして、王国の誉れ、カルデヤ人の誇らかな栄えであるバビロンは、神がソドム、ゴモラを滅ぼした時のようになる。
そこには永久に住む者もなく、代々にわたり、住みつく者もなく、アラビヤ人も、そこには天幕を張らず、牧者たちも、そこには群れを伏させない。そこには荒野の獣が伏し、そこの家々にはみみずくが満ち、そこにはだちょうが住み、野やぎがそこにとびはねる。 山犬は、そこのとりでで、ジャッカルは、豪華な宮殿で、ほえかわす。その時の来るのは近く、その日はもう延ばされない。」(イザヤ19-22)

これはイザヤのバビロンに対する預言ですが、この時代のバビロンの地とはチグリス川とユーフラテス川を中心にペルシャ湾から川沿いの地域、つまり、今のイラクです。

イラクには今人が住んでいませんか?

聖書は「永久に住む者はない」と言っているんですよ!!!

「代々にわたり、住みつく者もな」いと言っているんですよ!!!

これによって、聖書は「地に落ちた」ことになるんですか???

山谷流の読み方をしたら、聖書は地に落ちるところだらけになるでしょう。

そういう「字義拘泥的」な読み方をしちゃいけないんですよ。聖書ってのは。

この個所で「永久に住む者はない。代々にわたり、住みつく者もない。」とイザヤが述べているのは、人口学的、地理学的な情報を提供しているのではなく、「神の裁きによって帝国の勢いがそがれ、破滅する」ということを<強調>しているのです。

それと同じように、「世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような」という形容は「ひどい苦難」を<強調>しているんです。

「紀元70年の出来事とナチスのホロコーストを比較すれば、後者のほうが虐殺人口は多かったから、紀元70年は、空前絶後の出来事ではない」というような解釈の仕方が許されるならば、あのイザヤ書の個所をどうやって解釈するのですか?

「イザヤはバビロンには人がいなくなると言った。だから、バビロンはあのチグリス・ユーフラテス川のあたりにあったのではなく、サハラ砂漠か南極かグリーンランドのどこかにあったはずだ」とでも言うんですか?

こういった聖書の読み方を無視した、本質から外れた解釈をして、ごり押し解釈をやめないからプレ・ミレはカルト化する。

「聖書は聖書によって解釈する」という原則から外れ、新聞やらなにやらを使って主観的な解釈をやってもしょうがない。

 

 

2004年4月8日

 

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