預言や日猶同祖論をむげに否定しないほうがよい


A牧師の輪廻転生論に対する反論メッセージ拝見しました。
そのとおりと思います。

ただ、残念ながら、行き過ぎがあります。

1. 預言の否定。そして、聖書だけでよいという議論。
もちろん、聖書が我々にとって唯一の基準です。
しかし、神は自然を通じて啓示してくださる。これを一般啓示と言います。
この自然の中には、人間の言葉も含まれます。
聖書は、最高の基準ではありますが、「これだけが啓示」というものではありません。
つまり、必要条件ではありますが、十分条件ではない。
預言を否定する箇所は聖書のどこにもありません。
むしろ「預言することを求めよ」ともあります。
「聖書だけで十分」という思想は、「神学などいらない。我々は聖書だけで神の御心を知ることができる」という、今福音派ではやりの極端な「聖書オンリー主義」につながる恐れがあります。
こうなると、「聖書だけでよい」という教えが結局のところ、聖書を否定することになる。
なぜならば、教会史を否定することになりやすいからです。
教会がサタンとの戦いの中において獲得してきた遺産を丸ごと捨てることになりやすい。
事実、今の教会や神学校では、反知性主義がはびこっています。

2. 日猶同祖論を間違った教えの一つと見ている。
これはすでに何度も述べましたが、聖書信仰からユダヤ人日本来訪説を否定することはできません。
常識的な考え、通常の歴史学説などは、聖書啓示と同等の権威はありません。
我々は、聖書を最高基準としてもちつつ、柔軟に物事を捉える必要がある。
凝り固まった考え方によって、我々は福音伝道のチャンスを自ら潰すことになる。
例えば、福音派は反天皇です。
これによって、非常に多くの人々の心を閉ざし、躓きを与えている。
日本という国を考えるときに、私たちは、過去にキリスト教もしくはユダヤ教の影響を見る以外にはありません。
もっともっと私たちは自分の国について知識を得る必要がある。
今の福音派のように、日本や日本文化を足蹴にし、半ば軽蔑の態度を取ることによって、自ら福音の扉を閉ざしているということに気づいて欲しいと思います。

 

 

2008年6月29日

 

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