安息日は人間のためにある


イエスは、「安息日は人間のためにある。人間が安息日のためにあるのではない」といわれた。

この原則は何でも適用できる。仕事のために命を落とすというのは本末転倒。

仕事は、あくまでも神の国を作るための一つの手段であって、それそのものが目的ではない。

だから、仕事がきつすぎて死ぬほどならば辞めればいい。

掃除の仕事でもなんでもある。

生きていけたらいいのであって、今の生活水準を維持する必要はまったくない。

その仕事を続けると罪を犯すことになるならば辞めたらいい。

その業界がとことん堕落しているならば、そこから出るしかない。

自分が何かをしなければならないのは事実かもしれないが、とことんやる必要はない。

それによって自分の健康や命が犠牲になるならば、辞めて田舎に暮らして精神的に楽な仕事を選んで神に感謝しながら生活するほうがよほど信仰的です。

相撲界を見ても分かるが、組織ぐるみで堕落した場合、自分ひとりでなど変えられるわけがない。

その場合に、そこから出るか、もしくは、組織が裁かれるのを待つ。

徹底して戦うなんてことはやめたほうがいいです。

私は不思議なことに、最終段階の組織に送られることが多かった。

こちらが何もしないのに、勝手に攻撃されていると勘違いされて、裁判に2度かけられた。

2度とも、むちゃくちゃだったので、直後に裁かれた。

1度目は、信徒の大半が教会を辞めた。

もう一度は、建物を追い出された。

2度目の裁判のときに、直感があって、「この建物から追い出されるな」と分かった。そうしたらそのとおりになった

駅前のビルにあったが、家賃が払えなくなった。

それ以外にもたくさんこんなことがあった。以前いた会社でサタンが入ったとしか思えない扱いを受けた会社は、まず事業本部が解散し、その後10年で会社そのものが吸収合併されて消えた。

自分でやらなくても、神様がやる。こういう体験をたくさんしてきました。

だから、自分の身を粉にして最後までやる必要はまったくないです。

人材派遣のGという会社。社長の顔そのものが悪魔的と感じた。

ニュースでしか知りませんが。

人材派遣で、労働者からピンはねして、豪勢な生活をした。

こんな会社生き残れるはずがないと思ったら、案の定、そのとおりになった。

だいたい、むちゃくちゃなことをやる組織は、国であれ、会社であれ、どんなに大きくても、神が裁かれるから、放置しておくに限る。

 

 

2010年7月9日

 

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