聖書的決疑論を回復しよう


<Sugi様>

ご回答を感謝いたします。 Biblical Casuistry/聖書的決疑論の文脈から、もう少し質問させて下さい。

半陰陽については下記のケースがあるとのことです。

1)染色体上の性が男か女であるにもかかわらず、外性器は染色体上の性と反対の場合

2)染色体上の性が男でも女でもなく、外性器は両性具有であったり、どちらかの性であったり(性器は未熟な状態であるとのことですが)する場合。

こういった場合には、非常にやっかいなことになるのですが、染色体上の性と外性器の性と本人の自己認識の性、そして、社会がその人を認知する際の性といったことが不一致になります。

そこで質問なのですが、
ここで、最優先すべきはやはり、本人の自己認識の性なのでしょうか?(つまり本人がどこかで、どちらかの性を選ばなければならないので) まず本人の自己認識の性を決めてから矯正手術を行ない、その上で、社会がその人の性を認知すると言う順番でよろしいのでしょうか?

旧約時代のイスラエルであれば、おそらく祭司がこのような問題の解決にあたったのでしょうが。  どうも現代においては、ある部分を牧師が、ある部分を医療機関ないし医師がしているようにも見えます。

なぜ、しつこくこの問題を私が取り上げるのかというと、失われたピューリタン時代からの伝統であるBiblical Casuistry(聖書に基づいた決疑論)を現代に再興することが、今日のキリスト教会にとって極めて重要なことであると信ずるからです。

どこかで、読んだのですが、ピューリタン時代には聖書の普遍的な事柄をあつかう神学者/牧師と その時代における同時代のいろいろな事柄をあつかう神学者/牧師との両方がいたのだそうです。 

後者は歴史の流れとともに(その性質上)忘れ去られ、前者のみが、現代にまで伝えられているのだそうです。  実はピューリタンはとても実際的な人々であり、聖書の原則を生活の隅々にまで適用していたのだそうです。

聖書的決疑論の再興のためにこの掲示板を提供して下さっている富井先生に感謝いたします。 どうか主が富井先生の働きを用いて下さいますように。

<tomi>

ご掲示ありがとうございました。

(1)
私は、性染色体の決定の後に、発生途中で性器の形成に異常があった場合、基本として性染色体の性が本来の性で、性器は異常として現われたと考えられるから、性染色体の性を採用すべきと思います。染色体において男女の区別ができない場合、性器を基準にし、性器においても両性具有の場合、この人の性別に関する神の御心は分からないので、本人の選択に委ねられると思います。

しかし、私は発生学について専門家ではないので、どういうメカニズムによって性が決定されるか分からない部分がありますので確かなことは言えません。

性の決定の基準をどこに置くかについては聖書を基準に考えるクリスチャンの医師、発生学者、そして、神学者が知恵を出し合う必要があると思います。

(2)
聖書的決疑論を回復することは、私も大賛成です。

聖書が神の基準であるならば、あらゆる分野について聖書を具体的問題に適用する文化を作り出す必要があります。

非常に重要なことだと思います。

 

 

2004年5月23日

 

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