福祉国家は反逆の体制である


福祉国家の基本には、「神になる」という野心がある。

聖書の神の代わりに、人々の世話をし、人々を幸せに導く務めが国にあるという考えである。

しかし、本来国にはそのような能力がないから、膨大な金を集めて懸命に福祉をやっても、とんちんかんなことや、どこかに金が消えたり、名簿を紛失したり、やくざや仮病を使って労働を回避するような人間に月17万もの金が自動的に振り込まれるなんてことになる。

今の国の体制は、聖書の命令を回避し、神抜きで自分たちでがんばって自立した王国を作ろうとする人間教の野心から生まれた。

「神などいらない。人間だけでやっていけば幸せになれる」というスローガンが、共産主義の福祉国家の理念だ。

しかし、実際はどうだっただろうか。

殺戮につぐ殺戮。搾取につぐ搾取。粛清につぐ粛清。逆のことが起きた。

「人間だけでやろう」「神抜きでやろう」とすれば、逆に不幸のどん底に落ちる。

ソ連は崩壊した。これがすべての福祉国家の末路だ。

共産主義福祉国家の思想的源流はカントである。

カントにおいて、人間教が作られた。

「聖書とか宗教とか、そのような証明もできないような超自然のものから出発するのではなく、人間が自分の目で科学的に確認しながら作り上げる体制がいい」という教えだ。

この人間教は、自分から出発して自分に帰る教えだ。

聖書的キリスト教は、神から出発して神に帰る教え。

主人公が完全に転倒した。

世界は完全な反逆の中に入った。

この人間教が、今日の全世界を形づくっている基礎的な宗教である。

福祉国家が失敗するのは明白だ。なぜならば、反逆の体制だから。

福祉国家は、神に対して挑戦しているのだ。

だから呪われる。

 

 

2010年3月1日

 

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