キリシタンの2つの側面


キリシタンについては、2つの側面を考えなければならないと思う。

一つは、(1)グノーシス主義。
もう一つは、(2)福音だ。

(1)
ザビエルはイエズス会士だった。イエズス会士は、ローマ・カトリックの権威を広げるために活動していた。

しかし、実態は、ローマ・カトリックというよりも、グノーシスを広げるためだった。

なぜならば、イエズス会は、グノーシス主義者のデ・ロヨラが創始者だからだ。

グノーシス主義は、知識の光を救世主とする。この知識の光とは、ルシファーそのものである。

だから、グノーシス主義とはサタン崇拝なのだ。

グノーシス主義は、天地を照らすまことの光であるイエス・キリストに対抗する「別の光」を広めようとしていた。

広く誤解があるようだが、ローマ・カトリックは「信仰絶対主義」ではない。

ローマ・カトリックは、理性と信仰の並立を説く。

領域を分けるのだ。自然はむき出しの理性が扱える領域。信仰の世界は啓示で考えると。

住み分けの論理だ。

信仰絶対主義は、プロテスタントである。

とくにカルヴァン主義だ。

カルヴァン主義は、ローマ・カトリックの住み分け論を徹底して粉砕した。

つまり、あらゆる領域において、聖書が権威だと。

もちろん、自然科学の領域の知識を聖書に求めよというわけではない。聖書に書いてあることはごくわずかだ。DNAの構造について聖書を調べてもでてこない。

そうじゃなくて、自然科学の知識であっても、聖書啓示を究極の権威として扱い、それに違反するような知識を拒絶し、調和するものを受け入れよ、と説く。

聖書は前提であって、それを科学によって証明する必要などない。

これがプロテスタント、カルヴァン主義の立場だが、ローマ・カトリック、そしてその流れにあるアルミニウス主義は、聖書を最終権威にはしない。

住み分けを行う。だから、自然や政治、経済、この世のことについては、この世の学者が自立的に探求できるとする。聖書知識は、その補完的作用をする。

簡単に言えば、「頭を分裂させよ」というのだ。

だから、ローマ・カトリックやアルミニウス主義は、二元論である。

世界を「自然」と「恩寵」に分ける。

ローマ・カトリックは、もともとこのような立場(とくにトマス・アキナス以降)にたっていたので、イエズス会が入る隙があったと言える。

イエズス会がローマ・カトリックに入って、ルシファー化が進んだ。

イエズス会から生まれたイルミナティはそれゆえ、ローマ・カトリックに容易に入り込むことができたはずだ。

ローマ・カトリックは、イエズス会によってグノーシス化した。

日本においてイエズス会が伝道したということは、日本をグノーシス化しょうとしたということだ。

不思議なことだが、神は日本をイギリスを通じて救ってくださった。

以前、TVで、三浦安針こと英国人ウィリアム・アダムスが、実は漂流したのではなく、イギリスから差し向けられた工作員であったと紹介されていた。

スペイン・ポルトガルの覇権に対抗するイギリスが、日本への影響力を強めるために送り込んだらしい。

大英図書館にある資料によると、どうやらイギリスからの資金が家康に入り、それよって徳川が日本を統一でき、イエズス会を追い払うことができたと。

この世界歴史に流れる大きな対立する立場「聖書的キリスト教対グノーシス主義」で見ると、日本は奇しくもグノーシス側にはたたなかったということだ。

ちなみに、幕末になって、グノーシス主義は、ロスチャイルド・イルミナティという形で日本に侵略を試みた。明治維新に大きな影響を及ぼしたサッスーン財閥はロスチャイルド系だ。

グノーシスは、日本を最終地点として執拗に侵略を図ったということだ。

(2)
イエズス会は不完全ながらイエスを紹介した。まったくの悪魔崇拝という形では、侵略しずらいからキリスト教の外貌を保った。

そのため、キリシタンの中には本当に回心した人がいたと思う。

私は、長崎に旅行したときに、不思議な体験をした。

26聖人の殉教碑の前に立ったときに雷に打たれたような体験をした。彼らの中に高潔な魂を感じた。

だから、キリシタンについては、「イエズス会に属するから穢れている」と単純に考えられない。

神はこのような方法を通じても、人を救ってくださるのではないかと思う。

 

 

2009年11月7日

 

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