人間理性ではなく、聖書を前提とすべきだ


不思議なことですが、神は私に硬い聖書信仰を持たせてくださいました。

不思議なことです。

選びだと思います。

普通の学校教育を受けていれば、聖書信仰よりも理性信仰に行くはずですが、聖書信仰を保ち、ヴァン・ティルを読むように導かれました。

ヴァン・ティルを読んでもそこから離れていく人々が多いのに、そこに留まりました。

そして、ラッシュドゥーニーへと導かれました。

ふるいにかけられて、最後まで残ったというべきでしょうか。

神は、人数はどうでもいいと考えておられる。

多いか少ないかは問題ではない。

だから、聖書信仰から人々が離れようが、福音派が妥協しようが関係ない。

私は、神が少数の忠実な人々から新しい大きな運動を生み出してくださると信じてます。

既存の群れから飛び出すということは、大変苦しいことです。

友人を失い、異端視されるようになります。

交わりが少なくなるので、霊性に陰りが生じます。

それに伴ってサタンの攻撃が増します。

もし既存のクリスチャンの群れにいればそうではなかったかもしれません。

しかし、そこから出るように導かれた以上、孤独を受け入れる以外にはありません。

「聖書を前提として受け取るべきであり、人間理性を前提とすべきではない」ということ。

これこそ我々が死守しなければならない教えだと思います。

 

 

2008年5月29日

 

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