再建主義批判のサイト(米)への応答15


<RNCI>

再建された社会は、反対者や異端者を、法と社会に逆らう犯罪者として扱うだろう。さらに、その特徴は:私有財産権、リベタリアニズムに近い自由市場経済、借金の厳しい制限、30年の抵当の廃止、金本位制の貨幣制度、社会福祉を支える(税金制度に代わる)十分の一制度、多数の犯罪者を刑務所に入れるよりも償いをさせる、罪の償いのため(または、経済的安定のため)の自発的奴隷制度にある(Excerpted and/or adapted from the 12/90 & 1/91 issues of Israel My Glory.)。

<tomi>

聖書に基づく社会における思想に対する狭量な姿勢について、人々は違和感を感じるかもしれない。

これは、思想・信条の自由という国家の理念を、あたかもそれが「無制限な自由」であるかのように誤解してきたからにほかならない。

思想・信条に無制限の自由が与えられる社会なんてものは、この世に存在しない。

日本においてですら、現体制を非合法に転覆する思想を無制限に許すはずがない。

今許しているように見えるのは、「その反体制運動が小さく、無視できる程度だからだ」。革命運動に対して国民がそれほど目くじら立てていないのは、今、共産主義運動が下火だからだ。

しかし、このような革命思想が仮に大きなうねりになり、国民の1割を獲得するようになったらどうだろうか。ごくごく少数の追従者しかいなかった30年前の連合赤軍や、10年前のオウム真理教でも、社会に与える影響は絶大であった。その影響たるや計り知れないものになるだろう。

歴史を見れば分かるように、思想は、体制転覆を実現してきたのである。無理やりの場合もあれば、選挙によって合法的な場合もある。前者の例は数々の軍事クーデターである。後者の例は、ヒトラーの政権奪取である。

多額の賠償金を課せられ、苦渋の中にいたドイツには、救世主を待望する空気が充満していた。そこに登場したヒトラーに人々は幻惑され、彼の危険思想に注意を払わなかった。

社会は、思想に注意を払わざるをえない。思想に注意を払わない社会は、敵に心臓をさらけだす人間のようだ。

近年、日本国の首相が「神学論争を止めよう」と述べることが2度3度あった。

神学とか思想の威力を知らないからである。

人間は、納得し、確信すると、驚くべき力を発する。そのような頑強な闘志が何百人、何千人と集まればどうだろうか?

戦後日本が思想に対して関心を払わず、能天気でいられたのは、日本という国が比較的生活において不満の少ない国だったからである。強烈な不満を抱く国民が増えると、運動は急進的になり、革命の機運が高まる。国は思想の監視を強めるだろう。

「思想に寛容な国家」は幻想である。寛容になれるのは、ある特殊な期間だけである。

 

 

2006年2月25日

 

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