迷える羊が増えた本当の理由3


これまで、こっちを批判する人間は、総じて無知であった。

「もう新しい時代になったのだから、律法は廃棄された。」と言うような低レベルの批判は、批判じゃなくて、「勉強不足」もしくは「無知」のカテゴリーに入る。

「ちゃんと正規の学校に行って勉強しなさい」というレベルだ。

どうしてこんなレベルになったのだろうか?

神学校に行っていなくて、独学で理屈を作ったからである。

神学校に行く重要な意味は、「スタンダード」を学べることにある。

一般の信徒の方へ:スタンダードすら勉強したことがない人間に導かれて失望したからと言って、「キリスト教は駄目だ」なんて早急な結論を出さないでほしい。

あなたが接し、教えてくれた人間が、たまたま自分の無知蒙昧を省みず、ひとりよがりの理論を作って、一人前の神学者面をして、教えを垂れた「偽教師」だったというだけのことだから。

先日、偽医師が逮捕されたが、不運にも、あんなような人間に出会って、間違った指導を受けたということなのだ。

しかし、医者の世界と違うのは、医者の世界で「学問なんて必要ない」という人間は蹴り出されるのに対して、牧師・伝道師の世界では、そのような言葉がむしろ歓迎されるという点である。

若い人々を集めてコミュニティを作ってグルの座に収まっている人間は、オウムだけではなく、キリスト教界にもいる。

しかし、今までの私の体験から言えば、そのほとんどが独学者で、信頼するにはあまりにもアブナカシイ。

なぜ彼らは独学者なのか?反知主義者だからだ。彼らは、世俗のヒッピー運動などと同じように、既存の教育体制を馬鹿にしており、真理は一人で学べると考えている。そして、神学に関する知識は、ほとんど学ぶに値しないもので、神学者が自己満足で作り上げたものでしかないというような意見をもっている。

私は、独学が悪いと言っているのではない。教職者や一般の信徒の方々に神学校に行かなければ絶対にだめだといっているのではないことをご理解いただきたい。

かりにも教職の座に座っているならば、基礎勉強は不可欠だと言っているのだ。そして、自説を説く前に、きちんとスタンダードを勉強して、まともな神学的な知識を身につけるよう努力すべきだということだ。

 

 

2005年12月8日

 

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