壮大な謎解きが始まった


飛鳥昭雄氏が日本古代史について書いた一連の本を読んでいる。

非常に驚いたのは、私がここ8,9年間の間に思いついたのと同じことや酷似していることがかかれているということだ。私の文章を読んでこられた方は、私が飛鳥氏の本から受け売りで言っていると思われたかもしれない。

しかし、事実、私や友人のK氏は、飛鳥氏とまったく別に、祈りやクリスチャンとの対話の中で思いついたのである。たとえば、天照大神はキリストである、とか。

今、彼の本を読んで、それが、偶然にも飛鳥氏の考えと一致していたことに驚いている。

実際、飛鳥氏が著書で書いておられないことが、まだ我々の中にはある。(氏の著書をすべて読んだわけではないので、どこかに書いておられるかもしれないが。)

なぜこのような一致があるのだろうか?

しかも、氏がこの手の著作を発表しはじめた時期が、ちょうど我々に新しいミニストリが開かれた1996年くらいから、と符号一致する。

私は、神が、1995年と1996年との間に大きな断絶を置かれたと考えている。

恐らく1996年は、イエス降誕2000年目であり、神が新しい時代を開かれた年だろうと考えている。

氏の著書の中において、八咫烏のトップ大烏が、「我々は守秘義務があるから自分から謎を解くことはできない。だから、謎を解く人物を待っているのだ。」と言った。

私は、1996年から謎が解かれる時代に入ったと考えている。

古代日本において、秦氏をはじめとするキリスト教徒たちが、日本の様々な文物の中にかけた壮大な謎を解く時代に入ったと考えている。

 

 

2004年10月8日

 

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