クリスチャンは学問に限界を設定しなければならない3


誤解されると困るので、はっきりさせておく。

聖書が土を食べろと命令したら土を食べる、という原則は、けっして「虚偽を信じてもよい」ということを意味しない。

「ウソでも何でも聖書に書かれていたら信じろ」と言っているのではない。

我々は、「現在、科学が自分を正しいとする学説、例えば進化論などは、事実が明らかになり、人々の目から鱗が落ちるならば、虚偽であることが分かり、聖書のほうが真理であったということを悟るだろう」と考えている。

聖書は神の御言葉であり、それを権威として信じ、それを疑うことを絶対してはならない罪と考えるということは、けっして虚偽を信じることではなく、実は「真理を信じなさい」と同義なのだ。

神は世界の隅々について、あらゆる時代のあらゆる出来事について、完全な知識を持っておられるから、我々の狭い体験で判断することをやめて、全的に委ねるべきである。

今はバカと呼ばれるかもしれないが、いずれ人々の目が開かれ、騙されていたことに気づくだろう。そうすれば、人々は聖書を絶対的権威として受け入れるようになるだろう、と考えている。

 

 

2008年2月21日

 

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