進化論を捨てて解放されよう


進化論がなぜ人々に熱狂的に受け入れられたのか。ダーウィンは、その思想のゆえに一躍人気者になった。なぜか。

人々が進化論を希望していたからだ。進化論が正しければ、神の法から逃れることができる。

ヨーロッパを支配してきたのは、神の法という規範意識である。この神の法という規範は、ヨーロッパを他の地域に先駆けて資本主義と科学を生み出す原動力となった。

この2つのもの、つまり、資本主義と科学は、ヨーロッパ人に膨大な富と権力を与えた。それを利用して、彼らは世界に乗り出しアジアとアフリカを植民地化していった。

このように富と権力を生み出す原動力となった資本主義と科学は、キリスト教の世界観なしには成立しない。(これはマックス・ウェーバーの『プロ倫』を読めば分かる。カルヴァン主義がいかにヨーロッパの発展に貢献したか証明している。)

しかし、進化論を受け入れた人々は、資本主義と科学がキリスト教とは無関係であると信じたかった。そして前者だけを受け入れ、後者を捨てた。

結局、人々は、神の法が嫌いだったのだ。神の法から解放されるなら、嘘でも信じようと。

それが、進化論がこれまで受け入れられてきた理由だ。

しかし、嘘が常にそうであるように、それを信じる人々をかえって拘束するようになる。

自由になるために信じた嘘は、人々を拘束しはじめた。

その一つが精神の疲弊である。

キリスト教を捨てたことによって、贖いと契約的回復の手段を失うようになった。

つまり、罪を犯した場合に得られる神の赦しの確信を奪われた。

これによって、大量の人々が不安と恐怖と罪責感、死の恐怖にとらわれるようになった。

精神病院は常に満員になった。

さらにひどいことは、人生の目的意識を喪失したことだ。

進化論が正しいということになると、物事は偶然に推移するということになり、人生に目的などないということになる。

人々は、自分の存在の意味を見失った。

それにより、自尊心も失い、自暴自棄になる人々が現れた。

ヨーロッパは、かつてのバーバリアンの時代に逆戻りした。

神の法からの自由は、悪魔のもとにおける拘束である。

人々は、自ら進んで悪魔の奴隷になっていった。

かかる悲劇は、ヨーロッパの現代思想を受け入れた日本にも入った。

とくに戦後世代は、進化論の世界観で完全に汚染されているので、ほぼ100%虚無主義者である。

進化論は、道徳の合法性と正当性を否定するので、道徳が地に落ちた。

日本人はかつての日本人ではない。行き当たりばったりの人生を送り、金と欲望に振り回される動物的人間と化した。

我々の政治家は、我々の反映である。

我々は、我々以上の人々を選べない。

神の法と神の審判を信じることが迷信や狂信とした人々は、自分が選んだ無法な為政者によって苦しめられている。

自業自得である。

さあ、迷信から解放されるときだ。もうあんな野卑な政治家の顔を見たくないだろう。

働いても働いても見返りのない国の体制にうんざりしているだろう。

だったら、そろそろ気づくときだ。

進化論を捨てて、聖書の世界観を受け入れるときだ。

神の秩序の中に入ろう。そうすれば、道は開けてくる。

 

 

20010年1月31日

 

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