蘇我氏の復活2


佐宗氏が提供してくれた情報で特筆すべきなのは、中臣鎌足が百済の王族余豊璋であったということだ。余豊璋の父親は、義慈。その曾孫が夫余太妃。

つまり、藤原氏は、夫余族なのだ。

故東大教授江上波夫氏によると、大和朝廷は夫余族の辰王朝によって、四世紀末ないし五世紀前半ごろに達成された。

ということは、藤原氏と天皇家は、同族。

夫余の伝説を見る限り、ユダヤ系と考えるべきだろう。

既述の『三国史記』によると、日本の建国は、解夫婁(ヘブル)に対する宰相の阿蘭弗(アラブ)の進言による。阿蘭弗は解夫婁に、東海に迦葉原(カバラ)という五穀が良く実る地(*)があるので、ここに都を遷すと良いと言った。

カバラの地にヘブルが国を作った。それが日本。まさに日本はユダヤの地。

日本の支配階級を形成する2つの勢力のうちの一つ天皇家と藤原氏は、ヘブルの末裔。

他方、蘇我氏も名前がいかにもクリスチャン的だ。

蘇我入鹿。諏訪大社で行われたイサク奉献の儀式では、山羊の代わりに鹿が用いられた。どうも日本では羊の代用として鹿があるようだ。

蘇我馬子。馬の子。イエス・キリストが厩で生まれたことを連想させる。我を蘇らせる馬の子。まさにイエス・キリスト。

蘇我氏と血縁の秦氏は、すでに述べたように、中央アジアにあったユダヤ系キリスト教国といわれる弓月国から来た弓月の君の子孫。

日本の支配階級を形成する2つの勢力のうちのもう一つ、蘇我氏と秦氏は、実はユダヤ系クリスチャンだったのではないか。

そして、このグループと天皇家が血縁を持つことから、藤原氏とは別の天皇の系列があるのかもしれない。

日本を交代で支配してきた2つの勢力に対応するグループが天皇家の中にもあった。それが南北朝の2グループなのだろうか?

我々が忘れてはならないのは、もう一つの勢力だ。

それは、賀茂氏。賀茂氏は、物部氏に属する。八咫烏によると、物部氏は徐福とともに来た人々。徐福は、漢訳聖書ではヨセフ。

徐福の一団もユダヤ系である可能性が高い。実際物部氏の神社である真名井神社には、ダビデの星があり、同じ物部の神社である籠神社にはマナの壷があった。宮司は、友人川口氏に対してユダヤとの関係を認めた。

賀茂氏は、レビ系として、2つの勢力である藤原氏と蘇我氏の背後にいて、不変の土台・基層を形成してきたのか。

時代とともに藤原氏と蘇我氏が交代するが、その基層部分では、賀茂氏が一貫して支配してきた。

日本国の構造はこのように3つのユダヤによって成立しているのか。

(*)
この日本=カバラの地という図式を念頭に、中国の扶桑伝説を読むと興味深い。


中国神話では、東の海の果てに巨大な桑が2本生えており、これを扶桑と呼んでいる。われわれが見る太陽は、この扶桑を伝って、天空に昇っていく。いわば扶桑は太陽の象徴でもある。一方、雷は雷雨であり、晴天をもたらす太陽とは対極にある。いわば雷にとって、扶桑、すなわち桑は大敵なのである。ゆえに、桑畑だけには、落雷できないということらしい。(http://www.kitombo.com/mikami/0218.html

日本は「二本の桑の国」である。

カバラにおいて2本の木といえば、生命の木と善悪を知る実の木。

だから、日本はエデンの園ということになる。

古代においてこれだけユダヤの人々が集まったということは、日本が特別な地であったから。

おそらく、日本は真の安息国だったのではないだろうか。

 

 

2009年9月17日

 

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