理念が能力や需要に先行する領域を最小限にすべきだ


政治においても、経済においても、成功の秘訣は、自分を神としないことである。

「自分を神とする」とは、どういうことかというと、「理念を先行させる」ということだ。

たとえば、先の仕分けにおいて、「○○は絶対に必要であるからこれこれの予算を割り当てて欲しい」とする。

それぞれの役所において○○は絶対に必要であろう。しかし、総合的に見て、それを実行するだけの金銭的な余裕がなければ、このような「絶対必要性」は破産への一里塚である。

民間企業ならば、「○○は絶対に必要だ」としても、会社に体力がなければそれを行うことはできない。だから、我慢する。

しかし、役所の場合には、税金を上げたり国債を発行するという裏の手段があるから、要求は通りやすい。

こういう「絶対必要性」によって引きずられることによって、ソ連や東欧が破綻したし、中国も破綻しかけた。

「絶対必要性」でものごとが通用するのは、神だけである。

神は絶対に必要であるならば、価値を無から作りだすことができる。

しかし、人間は神ではないので、能力という限界によって常に制限される。

有限な人間界において、このような「能力による制限」という条件は最優先されなければならない。

理念は、能力の下に常におかれるべきだ。

バブル時代、理念が能力よりも優先されやすい環境のもとで夕張市が、次々とレジャー施設を作って破綻した。

不換紙幣は、理念の権化である。

「価値よ、あれ!」というと価値が生まれる。

紙幣は命令によって生まれる。

実態のない紙切れが価値として通用できるシステムが不換紙幣のシステムである。

このような神の真似事をする現在の通貨システムは、破綻する運命にある。

人間界では、理念が先行して、実力よりも先走ることは許されない。

システムを生き残らせたいならば、できるだけ実力によって理念や「絶対的必要」が制限される法律を作らねばならない。

つまり、税率の上限を設定することだ。

その範囲内でやりくりさせるべきだ。

上限が設定されていないと、際限なく「絶対的必要」なものが増え続ける。

理念が先行してもよいのは、聖書啓示だけだ。

聖書啓示は、絶対的な基準であり、それに制限を加えることはできない。

社会のあらゆる部分において、「聖書を絶対的な基準としてもち、それ以外は能力によって制限される」という基本原則を設定すべきだ。

科学においても同様である。

科学的研究は、聖書に手をつけてはならない。

それ以外のことについては、帰納法的な方法で探求を行う。つまり、データを集めて、そこから法則を導きだすという方法だ。

聖書教理に関しては、帰納法的な方法は通用しない。それは演繹的だ。つまり、聖書のテキストを絶対の基準としてもち、その教理に基づいて、個々の領域の基本原理を作り出す。

聖書に関しては、ドグマが通用し、それ以外の領域では、ドグマを持たない。

これこそが、クリスチャン的な科学観であり、それは、政治や経済のあらゆる領域に適用すべき原則だ。

だから、経済については、できるだけ市場原理で決定されるのがよい。

価格は、理念によってではなく、需要と供給のバランスによって決定されるべきだ。

「いや、そうすると、輸入品によって国内の産業が壊滅的な打撃を受ける。関税をかけるべきだ」とする人々がいる。

しかし、関税という政治的な手法に頼ると、国内産業は温室化するので、体力がいつまでたってもつかなくなり、長期的に見て弱くなるのだ。

農業を見なさい。米の自由化をしなかったために、農業は非生産的な産業分野になった。日本においていまだに弱い分野は、政府の保護を受けてきた分野だ。

建設や流通など生産性が低い分野は世界と競争をしてこなかった。

農業から政治的な保護を取り去るならば、今の体制は崩壊するだろう。農協は窮地に追いやられるだろう。

しかし、背に腹は代えられないということで、強い農業が生まれるだろう。

現在、日本の豚は、世界でもっとも優秀だそうだ。日本産の牛も品質は高い。

そのように、農業の分野でも、品質の向上によって付加価値をつけ、世界と競争できる能力が日本人にはある。

私は、できるだけ政治に頼らず、市場の評価に委ねる領域を増やすことが、どの産業の将来にとっても最善であると考える。

「日本の農業は生き残らねばならない。だから政治によって保護をすべきだ」という考え方は、長期的に見て農業を破滅させると思う。

人間は、裁きを避けられない。誰でも市場の裁きを受けるべきだ。

人々から求められない品質の低いものは、市場から撤退すべきだ。

おもしろくない芸をする人気のない芸人は、職業を変えるべきだ。

政府から国宝扱いされると、かえって不都合になるとある芸能関係者が言っていたが、どの領域でも、政府に頼ると歪む。

理念が先行できる分野は、聖書、国防、警察、裁判、最低限の行政、福祉である。これらは、税金と十分の一によってまかなわれるべきだ。

それ以外は、市場の裁きを受けよ。

 

 

2010年2月8日

 

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