リンカーンが黒人解放者であったというのはウソ


リンカーンが黒人解放者であったというのはウソのようだ。

黒人著者レオーネ・ベネット・ジュニア(Lerone Bennett, Jr.)のForced into Glory: Abraham Lincoln’s White Dreamによると、リンカーンは今日のラッパーと同じくらい頻繁に、黒人のことを差別用語である「ニガー」と呼び軽蔑していた。

最高のリンカーン研究家と呼ばれるジェームズ・ランドールの言葉を引用し「奴隷解放宣言自体は、一人の奴隷も解放しなかった」という。

奴隷制度を終わらせたのは、修正条項第13条であり、「リンカーンは嫌々ながらそれを受け入れざるをえなかった(Lincoln was dragged into accepting it kicking and screaming all the way.)」。

では奴隷解放宣言の目的とは何かというと、政治的な手練手管により純真な奴隷廃止論者の心を静めるためであり、さらに、イギリスとフランスに連邦政府を正式に認めさせるためであった。

この事実を知っているアメリカ人はごくわずかであり、ベネットは「わが国におけるアブラハム・リンカーンに関する無知のレベルは、スキャンダルであり、学校や博物館、メディア、学者は非難に値する」という。

さらに、リンカーンは、少数の自由黒人から市民権を奪ったイリノイ州の無数の法律を支持していた。

彼は、自由黒人が生活することがほとんどできなくなる悪名高い「イリノイ州黒人法」を支持した。

また、イリノイ州から黒人を追い出すために州税を使用することを求めたイリノイ州植民協会の「幹事」を務めていた。

黒人のイリノイ州への移住を禁止するイリノイ州憲法1848年修正条項を支持した。

大統領になってからも、リンカーンは奴隷賛成論者だった。

北部住民に対して、逃亡奴隷を捕まえ、懸賞金と引き換えに奴隷主に返すことを強制した「逃亡奴隷法」を熱心に支持した。

リンカーンは、この法律によって、無数の自由黒人が誘拐され、再び奴隷に戻されることになることを知っていた。

http://www.lewrockwell.com/dilorenzo/dilorenzo139.html

 

 

2008年1月12日

 

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