本当の報いは子孫において受ける2


契約的にものを考えられないということは、決定的な欠点である。

自分の人生の間において何事かをなすことのできる人間はごく限られている。

イチローのような天才でもなければ無理だ。

詐欺師は、我々に「イチローのようになれますよ」と誘惑してくる。一代で巨万の富を築き上げることができるなどという。

しかし、そのような人間は、ごく少数だ。

大多数の人々にとってそのようなことは無理だ。

では、我々はこの世界に対していかなる影響も与えられないのだろうか。

そうではない。

我々には契約がある。契約を通じて我々は世界に対して大きな影響を及ぼすことが可能だ。

契約とは、何世代にもわたる富と信用の蓄積である。

日本において一流と呼ばれる企業はいずれもせいぜい百年の歴史しかない。

3代である。3代にわたって信用と富を築き上げるならば、社会に対して影響力を及ぼすことは可能だ。

神は、クリスチャンに対して、「社会に影響を与える者となれ」と命令された。

しかし、我々一人一人は小さな存在である。我々が一代で何事かを為すことは不可能だ。

神はそのようなことを求めておられない。一代で何かをなせ、などとは命令しておられない。

我々は、自分の子供、孫、ひ孫を通じて影響を与えよと命令されているのだ。

我々はアブラハムの霊的子孫である。だからアブラハムに与えられた約束は、我々にも適用できる。

神はアブラハムに対して「あなたの子孫は星の数ほどになる。あなたはパレスチナの土地を所有する」と約束された。

しかし、彼の生涯においてそれは実現しなかった。それでも、アブラハムは満足した。

なぜか?契約を信じていたからだ。神は、自分の死後に、子孫を通じてその約束を果たしてくださると信じたからだ。

我々は、アブラハムと同じように、契約の約束に生きなければならない。

「新約時代に子孫ってそれほど大切なのでしょうか?」とたずねる人がいるかもしれない。

子孫は大切である。

なぜならば、神は自分の子供に影響力を与える存在として自分を創造され、そして、伴侶を与え、子供を与えてくださったからだ。

子供は、もっとも影響を受けやすい幼児期に、親の監督下に置かれる。幼少期に受けた教育は一生を支配する。

だから、我々は、子供の教育を他人にゆだねてはならないのだ。

自分の監督のもとに他人に教育をゆだねることはできるが、世界観の違う、つまり、サタンの世界観を持つ人間にチェックなしに教育をゆだねてはなならない。

チェックを怠ると、その子供は契約の成就に貢献できない人間になる。つまり、神の国の実現の活動において断絶が生じる。

我々の仕事は、何世代にもわたる大事業である。

ホームスクーリング運動、クリスチャンスクール運動は、重要である。

しかし、このような何世代にもわたる契約的世界支配拡大のビジョンを与えているものはきわめて稀だ。

「神の国の地上的拡大」を目標に置かないクリスチャン教育運動は、その核心を失っているので、ほとんどノンクリスチャンの教育と変わりない。

本当に祝福された運動にするには、まず聖書の世界観、契約的世界観を学ぶべきだ。

 

 

2009年4月21日

 

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