反二契約説(一契約説)を唱えるオーバン・アヴェニュー神学は異端である


二契約説の問題は、以前、K君と議論しました。

私がいた当時からジェームズ・ジョーダンの「反二契約説」をRS氏が主張していまた。

おかしいなあ、と思っていたら、やはり異端にまで発展したんですね。

これは、フルプレテリズムとも共通する誤謬ですね。


(3) The Auburn Avenue theologians’ failure to acknowledge the pre-fall covenant of works enables them to impose Adam’s pre-fall method of attaining “eschatological life” on all subsequent covenants. Like Adam, they tell us, we are in a relationship with God and just like Adam
we must persevere in obedience if we are to attain “eschatological life” or “final justification.” The Auburn Avenue system shifts the biblical doctrine of salvation from a trusting in and relying upon Jesus
Christ alone and what He accomplished in our place (His sacrificial death and perfect sinless life) to a persevering in the covenant. The Monroe doctrine
ultimately bases salvation on faith in Christ and our own works that flow from faith. Just like Adam we are saved by faith and obedience.
http://www.reformedonline.com/view/reformedonline/A%20Refutation%20of%20the%20Auburn%20Avenue%20Theology.htm

「エデンの園において、アダムには、2つの選択があった。すなわち、服従による命か、反逆による死か。業によって永遠の命を達成しなければならなかった。しかし、失敗したために、代わりにこの業を成就する人間が必要になった」というのが正統的で、これを二契約説と言います。

しかし、Auburn Avenue Theology(オーバン・アヴェニュー神学)は、アダムには業による達成の義務(業の契約)はなくて、もともと、恵みの中に置かれており、その状態を維持すれば救われたはずだと主張します。

正統的な考えが二契約を唱えるのに対して、オーバン・アヴェニュー神学は一契約説です。

ということになると、キリストの身代わりの功徳(つまり、キリストが律法をすべて守ったこと)による業の成就という意味が消えてしまう。

つまり、キリスト不要の救済論になる。フルプレテリズムと同じ。

明らかにサタン的です。

 

 

2008年10月25日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp