呪いはどのような場合でも悪か?


「クリスチャンは呪ってはならないのではないですか?」という人々がいる。

呪いは悪ではない。

呪いがどのような場合でも悪だという人々に尋ねたい。

パウロが次のように祈ったのをどう解釈するのだろうか?


主を愛さない者はだれでも、のろわれよ。主よ、来てください。(1コリント16・22)
しかし、私たちであろうと、天の御使いであろうと、もし私たちが宣べ伝えた福音に反することをあなたがたに宣べ伝えるなら、その者はのろわれるべきです。(ガラテヤ1・8)
私たちが前に言ったように、今もう一度私は言います。もしだれかが、あなたがたの受けた福音に反することを、あなたがたに宣べ伝えているなら、その者はのろわれるべきです。(ガラテヤ1・9)

パウロは、実際に呪っている。

これが、罪であるならば、どうして聖書はパウロの言葉を載せたのだろう。

我々は、迫害する者を呪ってはならない。

「あなたがたを迫害する者を祝福しなさい。祝福すべきであって、のろってはいけません。」(ローマ12・14)

しかし、どのような場合でも呪うことが禁じられているわけではない。

我々は、個人的な復讐を禁止されているが、公的・法律的な刑罰を禁止されていない。

いやむしろ、神は人間に「正しく裁く」ということを命令された。

呪いとは、この地上に義が溢れるために行われるべきであって、個人的な復讐として行われるべきではない。

 

 

2007年5月12日

 

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