セオノミーによる教会における混乱の原因


私は、今の教会のセオノミーに対する態度は、理性的ではなく、judgmentalな、情緒的な対応で、クリスチャンとしての資質を疑わせるものであると思います。

それは、僕としての態度が崩れており、人間崇拝が起こっていることを示していると思います。

この戦いの中に入ると、相手のクリスチャンが変質して、悪魔が憑依するかのような異常な行動を取ることもあります。

どんなにこちらが理性的に対応しても、それを許してはくれないようになる。

なぜかというと、今の教会の人々は、セオノミーが嫌いだからです。

セオノミーがなぜ嫌いかというと、自然法の思想に徹底して支配されており、教会がそれによって形成されているからです。

自然法がなぜ好まれるかというと、人間の自律を後押しするからです。

今のクリスチャンは、「人間が自分の判断で行動して何が悪い。我々はキリストにおいて神の法から解放されたのだ。もはや我々は誰にも支配されない」と信じることになれているからです。

まあ、実質的に今の教会は背教の教会なわけで、このような状況が続くならば、裁きは必ずやってくるでしょう。

私の経験では、セオノミーに対する敵対、もしくは、セオノミストによるつまづきは、主に我々が原因ではなく、相手側にあると考えています。

セオノミーを採ると、地上に火が投げ込まれます。

それによって、多くの人々が揺さぶられ、つまづきが起こります。

しかし、これは仕方のないことです。

これが、非現実的と思われるなら、どうか実際にセオノミーを唱えてみてください。どのように扱われるか分かるでしょう。

 

 

2009年8月28日

 

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