人生の目的とは?


<Q>
神の計画というページに「人生の目的が明確になりす。」と書かれていましたが、その「人生の目的」とは具体的に何ですか?日々何をして生きていったら良いんでしょうか?

<A>

(1)
聖書によれば、人生の目的とは、「神の栄光を現す」ことです。

「こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現わすためにしなさい。」(1コリント10・31)

この世界のあらゆるものが神によって創造されたのですから、神のために「のみ」存在するということがわかります。

(2)
しかし、人間を見ると、神のために生きるのではなく、自分のために生きていることが圧倒的に多いと思います。それは、なぜでしょうか。

人間は堕落したからです。

この現象は、天動説を唱えている人に似ています。

地球が中心で、太陽や星がその周りを回っていると考えると、惑星は、非常に不思議な動き方をします。それゆえ、「惑星」と言うのでしょう。

しかし、太陽が中心と考えると、どうして惑星が不規則な動き方をするのか、きれいに整理できます。

人間は、宇宙の中心でないにもかかわらず、宇宙を自分中心に回そうとしました。そのため、世界は混沌に見えるようになり、また、混沌に変えていきました。

しかし、神を宇宙の中心に据えるならば、すべてのものが整理され、秩序正しく見えるようになります。

(3)
神を宇宙の中心に据えるということは、何でも神の利益のために行うということです。

神の主権を認めて、人生を神に委ねる時に、はじめて人間は「有意義」な生き方ができます。

もし神を信じなければ、どんなに勉強し、努力しても、会社で成果をあげても、子育てを一生懸命にやっても、「死んでしまえば無です」。

人間は、この究極の「虚無」に気付いています。

そのため、まじめに「なぜ生きているのだろう?」と考えはじめると、何もやる気が起きなくなるのは当然です。

それゆえ、ある人は「一つのことに打ち込みなさい。そうすれば、そんな悩みは消えてしまいます。」とアドバイスしますが、しかし、それが気休めにしか過ぎないことを心の奥底においてよく知っています。

(4)

人体の構造は、きわめて精緻で、まさに「神業」です。
一つの細胞ですら、スーパーコンピュータをはるかに越える情報を処理しています。

人体そして自然界を見ると、この世界が「合目的的」に存在していることがわかります。

もし、人生に意味はないとすれば、ここに、大きな矛盾が現われます。

 (T)人生に意味はない。
 (U)人体や自然は極めて合目的的である。

この2つを調和させることはできません。

ここで、次のような疑問が起きても当然です。

「このように精緻な合目的的な存在である人体や自然が、まったく虚無のために存在している、人生に意味はない、という考えはできないのではないか。」と。

(5)
人生に意味はあります。
人間は、神を象徴する最高の被造物であり、それゆえ、人間の命には「計り知れない価値」があります。

聖書は、私たちに、このことを教えています。人間は、神の宝ですが、今、失われています。人間が自分勝手な目標を立てて、神と無関係に生きるようになってから、人生は無益になりました。

人間は神のもとに帰り、イエス・キリストを信じることによって、神の子供となり、原初の状態に復帰します。

そして、そこから「神の栄光のために働く」という有意義な人生が始まります。

 

 

2004年3月17日

 

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