神の不在が証明された?


ある学者によると、1991年に神の不在が証明されたそうです。

これは、言葉の自己矛盾です。

神を超越者とするならば、人間の論理で神存在や不在を証明することはできないはずです。

もちろん、神の定義を「超越者ではない」とすれば別です。

しかし、そんなものについて証明もへったくりもないわけで、我々にとって考慮する意味があるのは、「絶対者、超越者である神の存在・不在」であるはずです。

聖書では、神は、万物を無から創造された。

だから、世界の存在する以前において神しかいなかった。

それゆえ、基準を神以外のものにおいて神を評価することはできない。

すべてが神から出ているならば、神は万物に対して創造者としての主権を宣言される。

だから、神は裁かれる対象ではない。

ということは、証明される対象でもない。

神は基準であり、前提である。

「神は存在するか?」という疑問は被造物にとってタブーである。

なぜならば、神を試すことになるから。

神は基準であるのであるから、神を基準以外として扱うことはできない。

神こそが万物の存在の根源である以上、存在の基準を何かほかにおいて、それによって神を証明するとか評価することはできない。

聖書の神を科学で評価するという試みは、それ自体、「無からの創造」という教理と矛盾しているので、たとえ誰かが、「聖書の神が不在であることは証明された」といっても、我々はその人に「聖書の神を証明の対象とするのは違法ですよ」と教えてあげなければならない。

聖書は、「神とその御言葉である聖書は絶対の基準である」という考え方をしているのであるから、神と聖書を科学というまな板の上に載せて調理しようとする者はすべて冒涜者である。

冒涜の罪は、永遠の刑罰に値する。

だから、我々は神と聖書を「前提」として受け入れなければならない。

つまり、神と聖書が述べたことを問答無用に「はい、分かりました。そのとおりにいたします。」という以外にはない。

そのような絶対主権を持つ神以外の神は聖書の神ではない。

 

 

2010年6月17日

 

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