試練は心の地震だ


今、医療の現場で急速に荒廃が進んでいるという。

患者を見殺しにする、さらにはあえて治療を完了せずに、長引かせるなどということが行われていて、厚労省もぐるになっているふしがあると。

このような社会の劣化は現在いたるところで進んでいるように思える。

内輪びいきで、組織において裁きが実行されなければ、その組織自体が外部から裁きを受けるので結局は、内部での裁きを実行せざるを得なくなる。

たとえば、組織ぐるみで内部の不祥事を隠そうとしても、腐敗した組織は必ず何らかの形で異臭を放つようになるので、絶対に外部に影響を及ぼす。

外部の人々の脳裏には「?」が浮かぶ。

「何かおかしい」と。

そのうちに「この組織のやることは嫌いだ」というように、普通の人が感じ始めて、ついに内部の黒い部分が暴露される。

そして、裁きが実行される。

戦前の日本も、軍部が内部の人間に裁きを下すことができず腐敗した。

結局、戦争という形で終焉を迎えることになった。

この世界は神の世界であり、審判者として常にキリストが万事を見ておられるから、不祥事を隠すことなど不可能である。

金を使って買収して、口を封じたり、暗殺したりしても、絶対に無理。

神の目を欺くことなど不可能。

だから、いずれ人間は自分が蒔いた種を刈り取ることになる。

無神論者は、こういった道徳的法則を無視する愚か者だ。

無神論者は、なぜ無神論者かというと、「科学的に神存在を信じられない」ということではない。

彼らは神存在を心の奥底で信じている。

なぜならば「神がそれを明らかにされたのだ」と聖書にあるからだ。

では、なぜ無神論者は神の不在を主張するのか。

「心が腐ったから」だ。


愚か者は心の中で、「神はいない。」と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。…(詩篇14・1)

陰で忌まわしいことをしている。

これが人が無神論者になる本当の動機である。

だから、無神論者は、自分の穢れた行為を自分に対して隠し、世間に対しても隠したい。

心の奥底で自分の良心が「それをしたら駄目だ」と叫んでいるのだが、それを押し殺して「それをして何が悪い」と開き直っている。

無神論者は例外なく「あまのじゃく」である。

自分の心に素直になれない。だからいずれ破綻する。

耐震強度が不足しているマンションを建てるようなものだ。

何年かはもつが、疲労が蓄積して、もしくは、地震がやってきたときに、ついに崩壊する。

嵐とともに、地震は、神の試験の一つだ。

本物だけが残るということの自然啓示である。

自分に試練が絶えないと嘆くなかれ。

神は、あなたの心の中にある耐震強度不足の部分を取り除こうとしておられるのだ。

試練は、心の地震である。

地震が起きて、不良物件が倒壊した後に、本物が残るように、試練の後には本物が残り、あなたはさらにすぐれた人間に生まれ変わる。

 

 

2010年9月10日

 

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