契約的に歴史を見ると2000年から至聖所の時代に入ったのかもしれない


契約とは、救いの契約である。

我々がクリスチャンになるということは、この契約の救いの中に入るということを意味する。

ノアの箱舟は、救いの契約を象徴する。箱舟に入った人々は洪水から救われた。

ノアの箱舟は、3段階の構造になっている。

ということは、救いの契約が3段階の構造であることが分かる。

オリンピックで、メダルの色が金、銀、銅の3段階になっているが、これらの金属は、栄光の3段階を象徴し、それぞれ太陽、月、地球を象徴するために創造されたと思われる。

幕屋は、3段階の構造になっていた。

庭、聖所、至聖所である。

幕屋の境内に入るには、贖いの血を流す必要があった。礼拝者は、門のところにおいて犠牲の動物を殺した。

これは、礼拝する人間に対する審判を象徴する。聖書において門は審判の場所である。城壁都市の門では長老が裁きを行った。(*)

時間についても、契約的構造があると推察する。

キリストが犠牲になられたときに、人類は幕屋の門で犠牲を殺したのである。十字架は、契約的歴史の開始である。ここから歴史は、至聖所に向かって進む過程をたどり始めた。

契約的支配の長期的基本単位である千年(2ペテロ3・8、黙示録20・2-7)を当てはめるならば、庭の段階が千年。聖所の段階が千年。至聖所の段階が千年。

歴史を契約的に見るならば、世界は、2000年あたり(**)から至聖所の時代に入ったのかもしれない。


(*)
1.
ちなみに、ロトは門のところにいたと記されているので、ソドムの長老だったのだろう。ソドムが道徳的に荒廃していたということは、長老であるロトが正しく裁きを行っていなかったということを象徴している。

2.
我々の家でも、門には扉があり、来訪者を中に入れるかどうか判断する。

3.
我々の体は、宮や家である。我々の口は、門であり、口の周りの部分でチェックを行う。眼や鼻や舌は、食べるものが本当に食べられるものであるか外見、匂いや味覚でチェックするためである。

ちなみに、食べ物が消化されることは、門の中に入る者が、その礼拝対象と一体化することを象徴している。救いの契約では、幕屋に入る者は、神と(契約的に)一体化する。

4.
聖霊の宮として、我々は、自分の中に入れる霊をチェックしなければならない。異なる教えを受け入れると、悪霊が入る。

5.
女性の体は神殿・幕屋であり、相手を無差別に受け入れる姦淫は、区別せずに一体化することなので、自分を破壊する行為である。

6.
俗にA、B、Cとランクづけられる性行為の進度(キス、・・・)は、契約的合一の3段階を表すと思う。初めの2段階は、合一への準備である。庭、聖所での礼拝は、至聖所での礼拝の準備である。

(**)
イエスの誕生が紀元前4年とし、十字架が西暦29年とすると、2029年となる。

 

 

2008年8月29日

 

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