エデンの園は日本にあった?2


S先生
メールありがとうございました。


>実は、一昨日、生まれて初めて神道の結婚式に参列するまでは、神道と、キリスト教との類似性は
>認めるも、景教の影響に過ぎないのではないかと思っておりました。しかし、今回の体験を通して先生
>が言わんとしておられる事が理解出来ました。
>  神道では、聖と俗が明確に区別されています。まず、聖所に入るためには、手洗いが強要されます。
>儀式の始まりに大太鼓が打ち鳴らされて、その後、神主が列席者に御祓いを行い、清めた後、厳かな
>雰囲気の中、淡々と祝詞が朗読されます。一瞬、ユダヤ教の神殿にいるかのような錯覚を覚えました。
>  この、聖なる雰囲気こそ、魂の琴線に触れるものだと感じました。この聖と俗との明確な区別は、残念
>ながら、プロテスタントでも、カソリックでも、そして仏教でも感じる事が出来ません。聖画で飾られたカト
>リックの大聖堂は、世俗的、悪魔的な雰囲気しか感じられません。また、ステンドグラスで飾られた、近代的
>なプロテスタントの大教会には、無機的なよそよそしさを感じるだけです。仏教における数々の偶像には虚
>しさを覚えるだけです。
>  一方、一遍の飾りもなく、赤く塗られた鳥居を通って入った、白黒の世界である神社の社殿、拝殿に、聖
>を感じるのは、恐らく私だけではないはずです。これこそが、セム系の礼拝そのものだと思いました。
>  この、聖と俗との区別は、ヤペテ系の礼拝を踏襲している、我々プロテスタントの礼拝に欠けている要素
>ではないかと思いました。
>  讃美歌をフレンドリーなゴスペルに替え、礼拝メッセージを分かりやすく、教会の間口を広くして、敷居を
>低くして、未信者が教会に入り易くしようとしている、現代の教会の試みは、日本人への伝道においては、
>反って、逆効果ではないかと思いました。教会は、徹底的に聖であり、そして、神様の聖と義を証すべく立て
>られているのではないかと思いました。

まったく同感です。
何ヶ月か前に、京都の下鴨神社に行ってびっくりしました。
非常に聖いものを感じたのです。
とても偶像とは思えなかった。
感動といってもよいほどの体験でした。
京都の町そのものに聖さを感じました。
やはりこの町は、ユダヤ系クリスチャンである秦氏が建てた町であると確信しました。
町に入ると、何らかの印象が沸きますが、長崎にも不思議な聖さを感じました。
後で分かったことは、多くの殉教者がいたということです。
神は1996年にあそこに導かれ、不思議な体験をさせていただきました。
原爆記念館に行く予定で、キリシタン殉教には関心がなかったのです。
記念館は改修中であまり印象はなかったのですが、カトリック教会の展示物の踏み絵などに強い印象を受けました。
一番最初に観光バスに乗り込んだときに、「すべてを捨てて十字架を負って私についてきなさい」との御言葉が頭に浮かびました。「あれ!」と思いました。ここに来た目的はこれだったのか、と納得しました。
観光スポットを一巡してもとに戻ったときに、「そうだ、西坂の24聖人殉教碑に行こう」と思い立ち、坂を上ってその碑がある公園に入ったときに、そこが何か神々しい光のようなものに包まれている感じがしました。

「何だろう?この聖さは!」と思い、碑の前に行くと、そのレリーフの真ん中に「すべてを捨てて十字架を負って私についてきなさい」との御言葉が記されていたのです。

後で分かったことですが、その公園では殉教者が逆さづりの刑にあって多数亡くなったとのことでした。
その後、カトリック教会で買った殉教者の記録を近くの喫茶店でまさに貪るように読みました。

この体験は非常に強烈でした。東京に帰って友人K氏の事務所に行くと同じように聖霊の働きがあり、K氏が私の心の中にあることを一方的に預言し、ずばずば言い当てたのも不思議な体験でした。

京都の下鴨神社の体験は、久々の霊的体験でした。神主の後姿、礼拝する人々に非常に聖いものを実感したのです。

この神社は、まったく違う、という体験でした。神社で聖さを体験するということがはじめてだったのでびっくりしました。

神は、これまで神道を覆ってきたベール(多神教、呪術)を取り去って本来の姿に戻そうとしているのかもしれません。

神は、教会成長学によって、悪い意味で大衆化された教会にチャレンジを与えておられると思います。

私たちに示されたことをどのように受け取るかによって、未来が変わってきます。

悔い改めるか、それとも、滅びるか。

 

 

2008年12月9日

 

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