イラクで人質になり殺されたクリスチャンについて


私は彼の背景についてよく知らないので、あまり正確なことはいえないのですが、一般論として、3つのことを考えました。

(1)今回の戦争は侵略戦争だ。クリスチャンが侵略戦争に荷担してよいのか。
(2)いくら民間業務とはいえ、戦場に赴いたということはこのような事態に陥ると覚悟すべきだ。
(3)彼は信仰を試されたのではなく、純粋にアメリカの手先になったために殺された。だから殉教ではない。

(1)この戦争は明らかにアメリカが以前から計画していた戦争です。私たちは、マスコミなどの表面的な情報では真実は見えません。情報元が信頼性にかけるからインターネットなどの情報はあてにならないというのは事実でしょうが、それ以外に方法がないのですから、手探りであれこれ考えながら本当の姿を見出す以外にはありません。

そうすると、ネオコン(そして背後のユダヤ勢力)の世界戦略の一環としてこの戦争がおこり、アメリカはイスラエルにとっての邪魔者を消すために戦争を起こした。

神がよみせられる戦争とは、防衛戦争と、正義や人権に著しい攻撃が加えられている場合のみと考えられます。

私は、武力によって世界を変えていくという帝国主義的な手法は御心ではないと思います。

他人のものを欲しがるという罪にクリスチャンは荷担してはならない。それゆえ、このクリスチャンはあまりにも脳天気であり、義についてイイカゲンなクリスチャンであった可能性は十分にあります。

(2)戦場に行く人は、戦場において行われていることに巻き込まれるかもしれないと十分に予測できるわけです。もし危険でいやなら行かなければいい。
それにもかかわらず出向いて逮捕されて殺されるとおどかされて、あのような往生際の悪いことをやったというのは、あきらかに本人に知恵がなかったということを意味しているのではないか。

(3)今回の死はキリストの福音のための死ではなく、自分の軽率な行動のゆえであり、自己責任の領域に属し、信仰とは関係ないでしょう。ただ、今の政治に「聖書的に」無関心なディスペンセーショナリズムのキリスト教は、自分の浅薄さをさらけだした。これは、警告である、とも取れなくもないです。

つまり、今回の戦争に、アメリカのパット・ロバートソンをはじめとするディスペンセーショナリズムの人々が賛同してブッシュをあおった。

これは再建主義の統治主義を誤解して、武力による秩序破壊を肯定するものであり、知恵がありません。脳天気です。ハリウッド的勧善懲悪二元論です。

アメリカの政治エリートたちは、国民のほとんどは馬鹿で、手とり足とり指導してあげないとだめな連中だと考えているようです。

アメリカの世論は、きわめて単純な二元論を好み、それをキリスト教の神と悪魔の闘いに結びつけて、悪を懲罰する自分をスーパーマンか何かのヒーローと考える傾向にあります。

第2次大戦のときは、日本が悪役にされましたが、今はイスラムです。

政権の背後ではきわめて複雑な陰謀によって成立しているアメリカの政治は、マスコミや国民の前に現われるときには、それとはまったく正反対にきわめて単純な二元論を提示します。

じつは、ディスペンセーショナリズムのキリスト教もこのような単純なものなのです。彼らは、神の国の成長の方法について聖書から詳しく学んでいません。だから、剣をとって権力と戦おうとしたペテロのような猪突猛進だけがとりえのような部分があり、この戦争について聖書から考えることができません。

「悪いやつらを倒すのだろう?いいことじゃないか。」ぐらいの認識なんです。

「じゃあ、悪いものなら革命を起こしてでも倒すことができるのか?」とか様々な疑問が起きますが、彼らは思考停止に陥ります。そして、後は他人の批判に耳をふさぎます。

まあ、このようにして、ディスペンセーショナリズムという知恵のない思想に犯された教会の人々は、イラク戦争に賛成し、しかも、イラクの戦場の中に無謀にも入っていって人質にとられ、殺され、人々の目にディスペンセーショナリズムの軽率さが明らかになった、ということかもしれません。

 

 

2004年6月28日

 

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