心理カウンセリングと占いの共通の目的


心理カウンセリングと占いの流行には同じ動機がある。

それは、「罪を悔い改めないで、繁栄しよう」という動機である。

この世界は神の法秩序なので、罪には必ず代償が必要である。

代償の方法は、2つある。

1.死

2.悔い改め

この2つしか解決法はない。罪を犯したら、死ぬか悔い改めかしかない。

罪は積もり積もって最後に死を招く。

「罪から来る報酬は死です。」(ローマ6・23)

人間に寿命があるのは、罪という名の負債がたまりにたまって、破産するからである。

クリスチャンの死とノンクリスチャンの死は意味がまったく異なる。クリスチャンにとって死とは、新たな出発であるが、ノンクリスチャンにとって死とは、破産である。

クリスチャンは、悔い改めることによって、イエス・キリストにおいて負債を完済できる。

神に反逆した近代の人間は、イエス・キリストを信じることを拒否し、死によらずに破産を回避する方法を編み出そうとした。

それが、心理カウンセリングと占いである。

クリスチャンの心理カウンセリングとノンクリスチャンの心理カウンセリングとはまったく異なる。

クリスチャンの心理カウンセリングは、罪の悔い改めを促す。だから根本的な解決がある。(しかし、実際のところ、クリスチャンのカウンセリングもヒューマニズムの心理学を取り入れ、ヒューマニズムの原理に従っているのが現状だから解決がないものがほとんどである。)

しかし、ノンクリスチャンの心理カウンセリングは、罪の悔い改めではなく、環境の変化に解決を見出す。

自分の生い立ち、子供時代の虐待の記憶、失敗、人間関係など自分の罪ではなく、環境が根本の原因であると考えるのである。

アダムは、この間違いを犯した。

「私が悪いのではなく、あなたが与えたこの女が私を誘惑したのです」と。

しかし、自分が犯した罪の責任はもっぱら自分にある。

いくら環境が悪かったと訴えても、神はそのような訴えを退けられる。

このような環境決定論に基づく心理カウンセリングに解決はまったくない。

占いにも同じ目的がある。

占いに頼る人々は、神のもとに来ないで幸せを得ようとしている。

なぜ神のもとに来たくないかというと、罪を悔い改めなければならないからだ。

「自分には問題がある。しかし、神のもとに行くと悔い改めなければならない。生活を改めなければならない。じゃあ何か他に解決法はないか?」といって、占い師のもとに行くのだ。

心理カウンセリングも占いも新興宗教の一種である。

まことの神を拒絶したままで幸せになろうとする不純な動機がある。

聖書的キリスト教以外に本当の解決はない。

聖書的キリスト教だけが、「悔い改めて罪を清算しなさい」と教える。

 

 

2009年3月25日

 

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