アメリカ人は核兵器使用に関する責任から逃れることはできない


昨晩、TBSで原爆に関する特集番組があった。

原爆を開発し、上空から広島のキノコ雲を撮影した米科学者と被爆者の対話の中で、謝罪を求める被爆者に対して科学者が「私は謝らない。パールハーバーを忘れるなという言葉がある。パールハーバーで私は友人を失った。」と答えた。

被爆者2人は結局分かり合えなかったと嘆いた。

この科学者をはじめとして、普通アメリカ人が原爆の正当化に使う理由は、「パールハーバー奇襲攻撃」と「バターン死の行進」、「本土決戦を回避し日米の犠牲者を減らした」である。

1,2番目は、まったく理由になっていない。

私の知る限り、真珠湾攻撃もバターン死の行進も事件は戦闘員に関するものだった。しかし、原爆は非戦闘員を対象とした攻撃だったのだ。

この違いは大きい。

当時両国が加盟していた陸戦の法規慣例に関する条約(ハーグ陸戦条約)とジュネーブ傷病者条約(ジュネーブ条約)では、非戦闘員の殺傷、非軍事目標、無防備都市への攻撃、不必要に残虐な兵器の使用、捕虜の虐待などが厳禁されている。

東京大空襲や原爆投下は空前絶後の非戦闘員に対する無差別攻撃であり、戦時国際法違反である。

この科学者は「戦争に荷担しなかった人は一人もいない。全員が何らかの形で戦争に協力していた」と述べ、民間人の殺戮を正当化していた。

しかし、その理屈が通用するならば、先の条約は、必ず総力戦となる近代国家間の戦闘にはまったく適用できないことになり、空文化するのである。あの条約では明らかに近代戦争においても戦闘員と民間人の区別があることを前提としているはずだ。

3番目の理屈だが、もしこれが正しいとすれば、現在の戦争でも、相手からの核による反撃がない場合、開戦直後に核を使用して戦争を早期終結してもよいということになるのである。

こんな理屈が通用するだろうか。

たとえば、「イラク戦争を長引かせず、米兵やイラク人の死傷者を最小限に抑えるために、核の使用は許される」と本当に言えるのだろうか。

無理だ。

核兵器は戦闘員と非戦闘員を区別しない不道徳なジェノサイド兵器である。使用した後でも放射線の影響により長期にわたって環境を汚染し、人体に悪影響を及ぼす。

だから、核保有国は今それを使用することを控えているのだ。

アメリカ人がどんなに屁理屈を並べても、広島と長崎に対して核兵器を使用したという責任から逃れることは絶対にできない。

 

 

2005年8月6日

 

ツイート



 ホーム

 



millnm@path.ne.jp