「いのちにはいのち」でなければ社会のバランスが崩れる


ネットで殺人依頼をした犯人と実行犯に、懲役刑。

完全な計画的殺人であって、極刑以外にふさわしい刑があるだろうか。

裁判所が極刑を宣告しないことによって、遵法的市民のリスクは確実に増大している。

なぜだろう。

バランスが崩れているからだ。

裁判所の価値観において、生活リスクは、殺人犯のほうが低く、遵法的市民のほうが高い。

殺人犯は、行為(=殺人)の代償として死以外の代償が与えられ、遵法的市民は、行為(=遵法的生活)の代償として死を与えられる。

どうしてこれがおかしいということが分からないのだろうか?

クラスで一番努力し、成績を上げている生徒に最悪の刑罰の可能性があり、最悪の校則違反をした生徒に最悪の刑罰の可能性がない。

こんな不公平、アンバランスを平気でやる教師が教育できるだろうか?

よい教師は、努力した生徒に高い評価を与え、怠けている生徒に低い評価を与える。

行為にしたがって正しく裁くことこそ為政者に与えられた責務である。

今の司法は、罪に対して正当な罰を下しておらず、それを許している日本国の為政者たちは、職務怠慢のそしりを免れない。

 

 

2006年6月15日

 

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