ラビ・バトラのプラウト主義経済


経済学者ラビ・バトラの予測は見事的中してきた。


2006年にラビ・バトラは日本の経済ジャーナリスト浅井隆と共に『日本と世界は同時に崩壊する』(あ・うん出版)を著し、その著書において「『アメリカ住宅バブル』と『原油バブル』の2つの投機バブルの崩壊が世界同時大恐慌を発生させ、資本主義の崩壊を招くだろう。」と述べている。

彼は、恩師サーカーが前述の通り「資本主義は爆竹のように弾けて終焉する。」と言った如く、数々の著書で「資本主義は花火のように爆発する。」という彼独特の言い回しで資本主義崩壊の形態を予測している。

実際2007年から始まった世界金融危機においてアメリカの住宅価格は下落の一途を辿り、原油価格についても、NYMEXにおける2008年7月11日の取引において一時1バレル=147.27ドルまで上昇して最高値を付けた後、2009年現在において、原油価格は最高値から大幅に下落している。この現状がこれから後ラビ・バトラの予測通りに進行するかどうかを注視すべきであろう。
(Wikipedia--ラビ・バトラ)

ラビ・バトラの経済理論の中心は「需要と供給のバランス」だという。

加えてラビ・バトラは「健全な経済は供給と需要のバランスを必要とする。供給=需要。このバランスが失われると、高い失業率や高いインフレを引き起こす。供給の主要な源泉は労働生産性であり、需要の主要な源泉は賃金ないしは購買能力である。

生産性が上がり、賃金が上がり、消費が増大して、投資が拡大する。この投資と生産性の拡大によって、供給が増大する。故に、経済バランスを維持するためには、需要も比例して、増大しなくてならない。

つまり、生産性に比例して、実質賃金が増大しなくてならない。」と述べており、この経済の根本を無視して、借金経済を作ったのがグリーンスパンであると指摘し、彼を厳しく批判している[10]。

たしかに、需給バランスの喪失は問題だ。

小泉以後の日本の問題は、需要と供給のバランスを失ったことにあるだろう。

小泉の問題点は、格差を作り出したことそのものにあるのではなく、減税をしないまま、福祉を削減したことにある。

国に富を集中させ、お金のめぐりを悪くした。

ラビ・バトラは、次の誕生する経済システムは、プラウト主義経済だという。

資本主義経済崩壊後に誕生する経済社会システム、とラビ・バトラが予測している「プラウト主義経済」とは、大まかに言えば均衡貿易、賃金格差の縮小、均衡財政、自国産業保護、終身雇用、環境保護、銀行規制などによる所得格差の少ない安定した共存共栄の社会のことを指す。

彼は昭和30年代中盤頃〜昭和40年代頃の日本社会がプラウト主義経済に最も近い理想的な社会だったと述べており[11]、当時一億総中流社会を実現していた日本を絶賛している。彼は数々の著書で「必ずやプラウト主義経済は過去に一億総中流社会を実現していた日本から始まるだろう。」と述べており、彼の決まり文句とも言える「光は極東の日本から」というフレーズは日本からプラウト主義経済の胎動が始まることを示唆した表現とも言えるであろう。

私が思うに、この経済学者の学説の問題点は、「格差を人為的に縮小するならば、成功者の足を引っ張ることになり、共産主義経済と同じになる」ということだ。

私が正しいと思うのは、人為的な格差解消、所得調整ではなく、聖書が述べるように、収入の十分の一を貧困者のために取り分けること、そして、生産物の無料配分(籠を用いない商品の自由なピックアップ)にあると思う。

自分の所得の十分の一は自分のものではなく、貧困者、社会のもの、という共同体の観念こそが、真の意味で需給バランスを保つ正しい方法だと思う。

金持ちがすべてを懐にしまいこむことによって、需要が逼迫する。たとえ金持ちに富が集中したとしても、その十分の一が社会に還元されるならば、バランスは大きくは崩れないだろう。

国家を仲介者として所得を配分するシステムは、汚職と非効率によって必ず終焉する。

国家にこだわり続けるこの学説に賛同できない。

 

 

2009年9月27日

 

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